龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

東寺にて想う3

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賀能(かのう)啓(もう)す。高山澹黙(たんぼん)なれども禽獣(きんじゅう)労を告げずして投帰

(とうき)し、深水(しんすい)もの言わざれども魚竜倦(う)むことを憚(はばか)らずして遂(した

が)い赴(おもむ)く。かるがゆえによく西羌(せいきょう)険(さが)しきに梯(かけはし)して垂衣

(すいい)の君に貢(こう)し、南裔(なんえい)深きに航(ふなわたり)して刑厝(けいそ)の帝に献

ず。誠にこれ明らかに艱難(かんなん)の身を亡すことを知れども、しかれどもなお命を徳化の遠く及ぶ

に忘るるものなり。


大使藤原葛野麻呂が申し上げます。高山は黙々とそびえたっているだけで山が招くわけではありません

が、鳥や獣たちは労を惜しまず山に集まってきます。澄んだ水もなにをいうわけでもありませんが、魚や

竜は危険を冒しても集まってきます。このようにわたしたちもまた険しい道を越え、大海の危険を冒して

有徳の天子が治める貴国に命をかえりみることなくやってきたのです。それなのにこの待遇はどうでしょ

う。


我が日本国、常に風雨の和順なるを見て、定めて知りぬ、中国、聖(ひじり)いますことを。―


儒教では風雨が和順なのは聖人がいる証拠であるという思想があります。わが日本国は、かねて中国大陸

が風雨和順しているのを望んでかならず聖人が在(いま)すにちがいないということを、見定めて知っ

た。

賀能ら、身を忘れて命をふくみ、死を冒して海に入(い)る。………

大唐の日本を遇すること、八狄(はってき)、雲のごとく会うて高台に膝歩(しっぽ)し、七戎(しちじ

ゅう)、霧のごとくこぞって、魏蕨(ぎけつ)に稽顙(けいそう)すといへども、わが国の使に於てや、

殊私(ことさら)、曲げなして待つに上客を以てす。


日本という国は大陸南方や北方にいる野蛮な少数民族である八狄や七戎と同じではないのです。八狄や七

戎の使者は長安の宮城へ朝貢しても皇帝が出御する所までは入れてもらえず、八狄は使者団が雲のごとく

むらがってようやく高台まで膝をもって進むを許されるにすぎず、七戎はさらに遠く宮城の正門のところ

で霧のように集まって、頭(こうべ)を地につけてながながと敬礼するのを許されるのみである。日本は

異民族の国であるとはいえ、大唐の皇帝はこれを遇するに上客の礼をもってしてきた。


夫(か)の瑣々(ささ)たる諸蕃と、豈(あに)同日に論ずべけんや。

あのちっぽけで卑しい辺境の連中と同日に論じてもらっては困るのだ。

竹符銅契は、もと奸詐(かんさ)に備えたり………

大使の身分を証明するところの書類や、銅製のはんこは偽者に成りすますような悪い連中が出てくるおそ

れがあるためにわざわざ用意されるものです。もし世が淳(あつ)く、人が質(すなお)ならそういう文

契は要らないはずです。

この故に、わが国、淳樸(じゅんぼく―未開のころ)よりこのかた、常に好隣を事とす。献ずるところの

信物、印書を用いず、遣わすところの使人(つかいびと)、奸偽あることなし。その風を相ついで今に尽

くることなし

われわれは善良の国の使者であるがためにはんこを持っていないのだ。

載籍(書物)伝ふるところ、東方に国あり、その人、懇直にして礼儀の郷(さと)、君子の国といふは、

けだしこれがため歟(か)………

淮南子(えなんじ)』という書物が伝えるところによると東方ニ君子之国有リとある。君子之国だから

国書や印符などの形式上の身分証明を必要とはしない。ところがいま州の長官は文書がないということを

以てわれわれを責めている。さらには船の荷物をあらためるようなことまでした。

これすなわち、理にして、法令に合(かな)ひ、事、道理を得たり。官吏の道これ然るべし………

あなたたちのほうにも道理がある。それはよくわかるが、自分たちは国使の身ながら遭難者である。突

如、船を封印されたり、禁制を受けたりしてひそかに驚いてしまっている。伏して願わくば遠き者に恵

垂れ、隣の者を好(よみ)するという義を顧みて、われわれ遭難の風をなしていないことを怪しんでくれ

るな。そのように、われわれに対して恵み、好(よし)みをあたえてくれれば、他の多くの蛮人たちも、

細流の群があつまってながれるがごとくに唐の朝廷にあつまってくるであろう。

この一篇の文章を見て閻済美は驚いてしまったということである。待遇ががらりと変わり丁重になった。

長安へ使いのものをやって問い合わせるあいだ食料その他が十分に支給され仮の宿舎13戸を急造し、住

まわせられた。長安へ急派した使者が39日を経て福州に帰ってきた時には藤原葛野麻呂ら一行を国賓

して礼遇せよ、という勅命を携えていた。閻済美のもてなしはいよいよ厚くなったということである。


空海密教と言う宇宙に遍満する壮大な形而上的思想によって現世を否定せずに、肉体を通じて即身成仏

として表現開花させる一大体系を作り上げた偉大な歴史的人物である一面、人間の心の機微を読み取って

相手に合わせたり説得したりして窮地を脱するような鋭敏な政治感覚、処世術と言える様なものも持ち合

わせていたようである。行動的であり大胆であり決して書物や神秘に沈溺するだけではあり得なかった。

今日のアジア外交においても日本の政治家たちには臆することなく空海の意気込みや勇気・胆力・知恵を

見習っていただきたいものである。まあ、言っても無駄であることはわかっているが。また司馬遼太郎

空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在ではなく、人類的な存在だったといえるのではないかと

書いている。仏教のような普遍的思想は本来、時代や国に関係なくあまねく通用するところの人類的人間

と言うものを成立せしめなければならないはずのものであるのに日本と言う国家の枠を飛躍した存在が空

海ただ一人であるというのだ。これからの日本に空海のような人物が出てくればこの国は救われるかも知

れない。民主主義は数が全てであるが多数決で一国の滅亡の危機を脱することは出来ない。いつの時代も

一定数の天才は必要なのだ。なによりも天才が降臨する地上的環境と言うか余地を社会が考えてつくって

あげなければならないような気もする。密教に関して言えば釈迦の仏教が人生を苦の集積と見なし現世を

捨て煩悩や欲望から解脱することによって苦しみから遁れ、心の安らぎを得ようとするのに対し空海の密

教思想は煩悩即菩提であり人間の全てを性欲や富貴の願望ですら肯定し丸呑みしてしまう。今、ここで仏

にならずにしていつなり得るのかというのだ。今、世界を捨てて何百年後かに成仏したとして果たして意

味があるのだろうか。私の勝手な解釈であるが空海の思想においては時間というものも曼荼羅図に描かれ

た一平面のなかの一要素に過ぎないのだ。今この一瞬に過去や未来の全てが集約されているのである。


話しは変わるが、ヤフーのブログで小児癌で苦しんでいる3歳の子供りゅうくんの闘病記を最初から読み

通して、私自身心を痛めることとなった。新聞紙上で小さな子供たちが殺害されたり、不慮の事故で亡く

なったりする記事を読むことはとても悲しいことではあるが、自分の与り知らない世界で起きた過去の出

来事として私の心を通過してゆく。しこりとなって残ることはない。しかし現在進行形で小さな子供が病

魔と闘っている姿を知ることはある意味とてもショックだ。苦しみを知ると言うことは私にとって一つの

啓示だ。釈迦が幼少期ヒマラヤ南麓の小さな国の王子として何不自由なく暮らしていたにもかかわらず成

長するに及んでこの世に苦しみがあることを知り、そのことで苦悩する。そしてついに妻子を捨てて出家

ることになる。知らなければ済むことだが知ってしまうとその世界を心の内に引き受けざるを得ない。無

視できないのだ。そして私は心のどこかで、その世界に対して何故か責任のようなものを感じてしまう。

こういうのは仏教的な心性なのであろうか。もちろん私には何も出来ないし、そのような子供たちに軽々

しく頑張ってと励ますことも憚られる。しかし私なりの方法で今後神社仏閣を詣でた時などに、また普段

の瞑想で心の宇宙を通じて彼らと仏縁でつながることを、そして神仏の力に感応しそのご加護によって病

気が平癒し生かされ続けることを祈り続けてゆきたい。それは何よりも私自身の魂を救うための行為でも

あるのだ。


南無大師遍照金剛

引用・参考『空海の風景(上)・(下)』司馬遼太郎 中央公庫
     『東寺の謎』三浦俊良  祥伝社黄金文庫