龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

3歳児、餓死事件から私が思うこと


しかし、どうして今の時代に幼児が餓死しなければならないのだろうか。京都府長岡京市で3歳の男の子

が食事を与えられずに餓死した事件で児童相談所の対応が批判にさらされている。今回の事件は先に姉が

虐待を受けて保護されているので、どうして弟を救うことが出来なかったのかとの疑問があり児童相談所

の責任が問われるのは当然だと思う。しかし私には、それらの批判は結果論に過ぎないとの印象もある。

結局、児童相談所の人手不足もさることながら、それ以上にこのような死亡事件につながる潜在的可能性

を孕んだ危機的な家庭がいかに多いかということではないのか。どの家庭がこのような悲惨な事件に発展

する危険性が高くて、どの家庭がそれほどでもないということを表面的な状況や近隣住民の通報から見極

めることは、現実的にはとても難しいのではないかと思われる。なぜなら虐待している当人にも、おそら

くは虐待の自覚がない(もしくは薄い)であろうからである。今回の事件も父親や同居していた女にとっ

て「しつけ」のつもりが虐待になっていたのである。一番重要な問題は虐待している当事者の心理そのも

のが無意識化しているということであって外部の人間がその無意識に立ち入ってまで事件を事前に予測す

ることは、たとえ心理学者や精神科医であっても無理だろうということである。また一口に兆候といって

も兆候を危険度によってランク付けしたりマニュアル化することが簡単に出来るような問題ではないし、

その兆候にしたがって対処したところで児童相談所の職員に出来ることが限定されているということがネ

ックになっているのではないのか。今回、京都児童相談所は父親との連絡がとれているから大丈夫だと言

っていたらしい。新たな通報が寄せられても父親と連絡を取るぐらいしか出来ないのであれば、父親と連

絡がとれているという一点でもって大丈夫だと判断してしまうのは一つの道理であり必然といえるのでは

ないのか。評論家の宮崎哲弥さんは、ある紙面において児童相談所強制捜査の権限を与えるべきである

と書いている。また、離婚が増えることで家庭関係が不安定になり児童虐待が増加している面があるとも

いっている。これは当たり前のことのようであるが非常に重要なことだ。子供が憎いから虐待が起こるの

ではなく、家庭関係が不安定な状況で意図せずに虐待は起こるのである。よって児童虐待を防ぐ方法は家

庭関係を安定させる以外にはないのである。しかし夫婦間に発生する問題で見れば、現在のDV法が、夫

が妻に大声を出しただけで暴力だと定義付けし妻に役所や女性相談所への通報、連絡が奨励されている。

その一方で子供が餓死するような現実があるのである。これを社会の歪みと言わずして何と呼べばよいの

か。同じ家庭内のいわば同じ土俵上の問題ではないのか。しかし、現在の一般的な考え方はそれはそれ、

これはこれであって同じ問題として有機的につながった問題として考えることはタブーなのである。どこ

までも分離思考である。現実に福祉行政において一家庭における女性問題と児童問題は別系統で分離して

扱われているではないか。これは家庭の問題である以上に政治の問題なのである。政治の問題と言うのは

結局のところ既得権益の問題であり金の問題なのだ。私は何も男女共同参画を反対したり、父権を復活さ

せろとか、女性に男性の暴力を耐え忍べなどと言っているわけではない。ただ、新たな既得権益を発生さ

せるシステムなり法律なりが、家庭であれ国家であれ統合的な利益を無視あるいは破壊するような歪みを

もって作られているという欺瞞が許せないのである。そしてそれらを見て見ぬふりをしなければならない

ような無言の圧力に我慢がならないのだ。本来、部分と全体のバランスの中で双方の利益と幸福を最大化

させることを考えなければならないのにセグメントされた部分を過度に優先して全体を駄目にしているの

である。そして、そのような社会的歪みの間隙で、要するに家族関係を必要以上に不安定にさせるような

考え方や法律などの背景のもとで子供たちの命や利益が犠牲になっているにもかかわらず、誰もがすっと

目を逸らすようにして決して物事の本質を見ようとはしない。一旦、当たり前になって社会全体で共有し

ていることがらに疑いを持つことは罪なのである。私が大衆批判めいたことを書かねばならない理由はそ

ういうところにある。部分と全体、個人と国家の関係性と制度のあり方というものを日本人はもっと深く

考えるべきだと思う。歴史的な時間軸でゆりもどしのような形でバランスがとれていても今日この瞬間に

滅びてしまえば元も子もないではないか。そう思わないのか。宮崎哲弥さんが言うように相談所に強制捜

査の権限を与えることは非常に大切だとは思うが、強制捜査のタイミングを計るということは先に述べた

理由で大変に難しいと思われる。相談所の態度はどうしても控えめ、及び腰にならざるを得ないであろ

う。よって現実的にどこまで子供たちの命が救えることになるのかとなると少し疑問である。また、離婚

が増えることによって家族関係が不安定になるということについて宮崎さんも言っていることだが離婚を

なくすことは難しい。しかし家族関係がどうして不安定になるのかということをもう一歩踏み込んで考え

てみると、離婚とか連れ子の問題以前に“金”の要因が大きいと思われる。結局、結婚や家庭というもの

はひとつの制度であって、全ての制度を根底で支えているものは“愛”ではなく“金”なのである。夢の

ない話なので一般には受け入れがたく感じられるとは思うがそれが現実である。本当は貧乏な時にこそ

“愛”によって支えあわなければならないのに、思想や制度が家庭に浸入し過ぎて妨げられている。そし

て経済的に不安定になったときに家族関係が不安定になり、最も弱いもの、すなわち子供に暴力が及ぶと

いう無意識下の構図が出来てしまっている。相談所や警察など行政の対応を批判していれば解決に向かっ

てゆくような底の浅い問題ではないのだ。私が思うに今後益々このような事件は増えてゆくであろう。そ

れでは具体的にどうすればいいかということであるが、私は地域で子供を見回るとか監視するというよう

な悠長なことを言っていられる状況ではなくなってきているように思う。先ず第一に、家庭というものが

子供を保護する“インキュベーター”としてではなく実質的に“密室”化あるいは“要塞”化してきてい

るように感じられる。よって外部機関や近隣住民の介入に対して必然的に激しい抵抗と摩擦を生むことに

なるので逆効果になることが多いと思う。もう子供はその地域の共有財産として、地域で共同で育てると

いうように思い切った発想転換をしてゆかざるを得ないのではないかと私は考える。家族というものが誰

かの利権や権力志向のために解体させられるのではなく、子供の命を守り共同で育ててゆくために家族の

概念を緩やかにして開放してゆくのである。今の時代、家族という単位は子供のための利益よりも弊害の

ほうが大きくなっていると思う。全ての親が当たり前のように自分の子供を育ててゆくということはもう

無理なのではないのか。子供を共同で育てる場としては、日本は幸いにして寺や神社の数が多いのである

からそういうところを開放してもらいたいものである。幼稚園や学校が終わったあとの時間を子供たちが

寺や神社に集まって地域の有志の人たちの世話のもとで擬似家族のようなコミュニティーを形成すること

はできないものだろうか。ネグレクトされている子供を救ってあげられるような場が各町内に一つは必要

だと思う。そこで飢えた子供に食べさせてあげたり、衣服を与えてあげたり、勉強を教えてあげるのであ

る。アメリ先住民族の生活集団と酋長のような関係を私は想像するが、それでいいではないか。利権や

先鋭的な思想に絡みついた女権拡張運動、実質的に無力な児童相談所などの福祉行政と要塞化している家

庭の間で日本の家庭は無茶苦茶になってきているではないか。目の前にあるものを見るか見ないかはその

人の勝手であるが現実はそうである。日本は先進国だなどと威張ってきたが、もうすでにそのような状況

にまでなっているのだ。寺や神社の人たちには馬鹿なことを言うなと怒られるかも知れないが、宗教法人

は公益事業が課税免除されたり収益事業においても法人税が優遇されているのであるからそれぐらいの社

会貢献をしてもいいのではないか。私はたまに寺巡りをするのでわかるけど、非常に多くの参拝者を集め

ている所があるかと思えば、誰も訪れないような寂しく廃れたような寺もたくさんある。最近は寺で葬式

をあげるひとも少なくなっているので宗教法人といえども経営がたいへんなところは多いと思われる。だ

からこそ地域社会に場を開放して、子供たちを守り育むための拠点として機能すれば尊敬を集めるであろ

うし繁栄していくことにも繋がるのではないだろうか。そうすれば坊主丸儲けなどと悪口をいう人間もい

なくなるであろう……と思うのだが。まあ、私の考えは現状の大勢から乖離したものであるのは確かであ

るし、偏ったところもあるかとは思う。しかし要するに真剣に考える人間の数が一定数に達しなければ今

後とも罪なき子供たちが殺され続けてゆくであろうことだけは間違いないのである。しかしこのようなこ

とをいくら主張したところで無駄であるということも私には見えている。私も個人的な問題を抱えている

ので偉そうなことは言えないが家庭に“愛”はない。腐ったシステムの洗脳と誘導があるだけだ。