龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

前言撤回で、児相建設に反対する

なるほど、そういうことか。わかってきた。いや、わかってきたような気がする。南青山の児童相談所建設に対して、一部の住民が反対運動を起こしていることに対して、私は『品格なきブランド志向』と題して、偏狭な見栄や虚栄心のために本当に守られなければならない不幸な子供たちを犠牲にする考えは貧困であるとして批判した。その気持ちは今も変わりはない。しかし意見が変わって申し訳ないけれど、またそのために正反対のことを述べなければならないことは気が重いのであるが、「わかってきたのだから」仕方がない。別に私は批評家でも政治家でもないのだから当初の意見に縛られたり、見解に一貫性を持たせることが一義的に重要だという訳でもないであろう。
それで結果的に言えば、仮に私が南青山の住民であればよくよく考えればやはり反対派につくことになると思われる。前回に述べた意見は外部者としての一般的な見方に過ぎないものであることがわかってきてしまったのだ。当事者としての立場で考えることがいかに難しいかということだ。どういうことかと説明すれば、まず児童相談所の必要性ということであるが、確かに日本においては小さな子供が虐待によって死亡するという大変に痛ましい事件が各地で頻発している。その傾向が国内の全般的な景気低迷の趨勢と同調するように少なくともここ20年ぐらいは継続しているものである。それゆえに新しく大きな児相を建設することに対しては、子どもを守るという観点から反対するべきではないという正義と良心の声が世論の主軸となるのは当然のことだ。ましてやブランドイメージや資産価値を守るために反対しているなどと聞かされれば、感情的な反発の声が上がるのは必然の反応である。しかしである。現実的な問題としてこれまでの事件においては児相は子供たちの命を守れてきていないものである。自民党は児相の権限を強化すると言っているが、具体的にどのようなケースで何をどのように強化するのかということについて、また警察との連携や虐待が疑われる家庭内部の調査権限などの実効性の伴った在り方についても国民にきちんと説明されているとは言い難い。はっきり言ってこれまでは相談や通報があったとしてもその場しのぎのお茶を濁すような役所的な対応しかされてこなかったものである。子供の命を守るという何にも代えがたい重大な使命があるにも関わらずそこには運用に関する透明性であるとか説明責任というものが著しく欠けていたものである。併設される女性センターにしても同様だが、要するに内部で何が行われているのかわからない「不気味な」施設なのだ。カフカの小説の『城』ではないが、幾重にも張り巡らされた官僚的な手続きが神秘のヴェールのようになっていてその内部で処理されていることは余人には知り得ない不条理なはかりごとなのである。もちろん個別の案件についてはプライバシーの問題があるからその情報が保護されなければならないことは当然であるが、基本的な運用について得体の知れない巨大な施設が、ある日自分が住んでいる街にそれこそ城のように出現すれば誰だって少なからず生理的な拒否反応を引き起こすのではなかろうか。それと今回の問題についてであるが、何で東京都港区の南青山でなければならないのか、それがどのような意味を本質的に持っているのかを考えることは非常に重要である。用地取得と合わせて建設に100億円もの予算が計上されるということである。さすがに東京の港区という所は、金持ちなんだなと感心するばかりであるが、さすがにそれだけの税金が投入されるのであればいくら何でも一行政区だけの判断だけではなくて、補助金などの何らかの形で国の政治(自民党)の思惑が反映されているのだと考えられる。富裕層が住む地域であっても複雑な家庭環境によって幼児虐待が行われる危険性があることは前にも述べた通り否定できないことではある。しかしよくよく考えれば100億円もの金を掛けて立派な児相を作るとなると話しは別である。そこにどのような政治上の意味があるのかということであるが、わかりやすいように反対のケースを考えていただきたいのである。たとえば大阪の生野区兵庫県の尼崎のような場所(別に生野区や尼崎に対して悪意がある訳ではないが)、に100億円もの巨費を投じて新規に児相を作ればどういうことになるであろうか。施設の完成施行後、1年も経たない内にその地域内で子供が虐待で死亡する悲痛な事件が発生したとすれば大変な騒ぎになるのではないのか。いくら何でもそのような事態になれば政治の力で週刊誌やTVなどの報道を押さえつけることは無理であろう。誰かが100億円という「ムダ金」の責任を問われることは必定である。しかし南青山という場所ではその心配がないということである。その上品な場所では、政治は安心してハコモノ行政に邁進できるということである。これは自民党の悪しき政治スタイルを踏襲した税金の無駄遣いそのものではないのか。よくよく考えればであるが、南青山のような高級住宅地では児相は必要ないとは言わないが、どこかのビルの1フロアか2フロアを賃借する程度で十分ではないのか。そこまで考えが至った時に初めて私は南青山の反対住民の気持ちがわかったように思えたのである。土地の資産価値やブランドなどと言う表現は、確かにそのレベルで反対している人もいるのかも知れないが、どこかに誤解を招いたり誘導する政治的な操作があるような気もしてきて、前回と正反対の内容で申し訳ないが、私は一人で立腹しているものである。ということで前回の内容は私の考えが至らなかったということで撤回、修正させていただくものである。南青山の反対派住民の方々には失礼な批判をしてしまったことを慎んでお詫び申し上げる。それもこれも全ては私の不徳の致すところであり、今後はこういうことのないように日々、精進していきたい。あやうく政治や一部マスコミの論調に乗せられて、騙されるところであった。かように日本の政治は国民を騙すことにおいてはプロフェッショナルなのである。