龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

子供の生命

神戸で行方不明になっていた小学1年生の女の子が、最悪の形で発見される結末となった。逮捕された容疑者は黙秘していて詳細はわからないが、一体どうしてこのような事件は、引きも切らずに発生するのであろうか。また未然に防げなかったものであろうか。亡くなった幼い命を取り戻すことはできないが、今こそ我々は社会全体でよく考える必要がある。
先ず防止上の観点から言えば、最先端の高精細な防犯カメラの設置を増やすという方法が考えられる。しかし現実的には、いかに日本が国土の狭い国であるとは言え、全ての道や場所、路地まで防犯カメラの視野で収めることなど土台、無理である。また例え可能であるにせよ、そこまで監視社会に移行することに対して住民の不安や反対の声も多いことであろう。地域や地元の市民の目で不審者の行動を監視したり、子供たちの安全を見守るということもよく聞かれることであるが、それもどうであろうか。確かに無いよりははるかにマシであろうし、それなりの効力はあると思われるが、四六時中監視したり、見守ったりすることは不可能である。また成人男性が保護上の善意から小さな女の子に声を掛けたり、じっと見続けるだけで傍目からは不審者に見られることもあるわけで、中々に微妙で難しい問題である。結論的には、物理的に出来ることには限界がある。小さな子供がいつの間にか連れ去られる時空の「隙間」を完全に塞ぐことは現下の状況では不可能である。
ならどうすべきであろうか。止む無しとして漫然と今の状態を放置すべきなのであろうか。私はそうは思わない。出来ること、成すべきことはあるはずだ。具体的に言えば、政府は各都道府県の警察に子供を犯罪から守るための特別の部署を新設し、そのための予算と保安要員を確保すべきだ。今の警察の実態は、遊んでいると言えば怒られるであろうが、自転車の無灯火を注意したり、交通違反の取締ばかりに精を出している有り様なので、その一部を子供向け専門に特化させて犯罪検挙と犯罪抑止に振り向けることは出来るはずである。それも今回のように連れ去って殺害するような凶悪な犯罪だけでなく、家庭内における虐待であるとか、登下校中の子供の列に自動車が突っ込む交通事故の防止策、安全対策なども一括してその部署に管轄させればよい。特に家庭内の虐待やネグレクトなどは、もはや児童相談所に任せるような生ぬるいことをしている状況ではないのではないのか。きちんと児童虐待防止のために必要な法整備を行った上で、児童相談所を警察の管理下において、警察の任意の判断で問題のある家庭に調査、介入できるように社会の仕組みを作り変えていくべきだと私は考える。現在の状況では警察権力は、事件が発生した後の事後処理にしかなっていない。警察に権力が集中し過ぎることは危険だという声もあるであろうが、確かにその通りだが、その唯一の例外が子供の命を守ることだと私は思う。なぜなら子供たちの生命は待ったなしだからである。自分で救いを求めることができないのだ。それどころか子供が発するSOSのサインを周りの大人たちが打ち消すことによって、手遅れとなることがこの種の問題の特徴であると言える。よって児童虐待の疑いが周囲から掛けられた時点で、私はその人間は人権上の擁護措置を訴える資格を一時的に喪失したものと看做すべきだと考える。ともかくも国は子供の生命を犯罪や事故から守るための断固とした意志と姿勢を明確に示すべきである。