龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

品格なきブランド志向

児童相談所は虐待を受けている子供を保護するために設置された施設でしょう。何でそれが、その地域の住民が住んでいる家の資産価値減少になるのだ。むしろ反対ではないのか。100億円も掛けて立派な児童相談所が作られるということは、行政がそこまで子供の安全に真剣に取り組んでいるということだから、その地域のイメージが上がるものとして歓迎されるべきことではないのか。これが少年院とかであれば話しはわかる。治安が悪くなってブランドイメージの低下だとする声にはそれなりの根拠がある。パチンコ屋の建設反対もわかる。朝から仕事もしないでダラダラしているような人間がパチンコ店にたむろするような街になれば、確かに町の景観や品位も損なわれ、家の資産価値も激減するであろう。そういうことで南青山のような閑静な住宅街には、パチンコ店は恐らくは存在しないと思われる。しかし児童相談所が出来て、街のイメージが悪くなるという地元住民の反対意見は理解できない。理解できないが、よくよく考えればその真意はこういうことではなかろうかと想像できる。児童虐待低所得者が住む地域で発生する社会現象であって、南青山のような高級住宅地は誰もが子供にお金をかけて大事に育てているのだから児童相談所は必要ないのだし、そういう施設が作られると低所得者の地域と同格に扱われているようで面白くないし、街のイメージは悪くなり家の資産価値にも悪影響を及ぼすことが危惧されると。なるほどそういうことであれば、気持ちはわからないけれど、その思考回路はわかる。何ともふざけた考え方だ。街とそこに住む人間の主従関係が逆転してしまっている。街があってそこにたまたまその場所に人が寄り集まって住んでいるだけのことである。高級住宅地と言っても金さえあれば誰でも住めるわけで、何もその地域に住むための特別な審査や素行調査が行われているわけではない。麻薬の売人が住んでいてもおかしくはないものである。海外であれば超高級住宅地にマフィアが住んでいるケースなどいくらでもあるであろう。住人の高級イメージやブランド意識のために街が存在しているわけではないものである。そこをはき違えてもらっては困る。それに児童相談所は、街のイメージや家の資産価値に配慮されながら作られなければならないような商業施設ではない。街に必要だから作られる、それだけのことだ。住人が公的に必要だと見做される施設をエゴイスチックな優劣のイメージで判断して反対することは、はっきり言って常識が欠落しているとしか言えない。富裕層であっても家庭環境が複雑であれば児童虐待は起り得ることであるし、実際にそういう事例は多数あるであろう。自分たちの偏狭な見栄や虚栄心のために、本当に守られなければならない不幸な子供たちを犠牲にするような考えは貧困である。私は仮に有り余るほどの金を持っていたとしても、そのような貧困な精神の住人にだけはなりたくはない。