龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

3D社会への不安 2

「3D社会への不安」と題して、22日に3Dテレビと洗脳に関する記事を書いた。しかしよく考えれば、それ以前に健康被害への危惧について警鐘を発するべきであったことに気付いた。
3Dテレビは、脳と目に大きな負担をかける装置である。メーカー側が、使用説明書に長時間の視聴は避けてください、とか疲れた時には休憩を取ってください、等の注意書きを書いたとしても大人に対してはそれでよい。大人は自制が利く。仕事や家事に忙しい真っ当な大人であれば、一日にテレビを見れる時間など高が知れている。仕事に疲れて帰宅してから、寝るまでの僅かな時間に奇妙なメガネをかけて脳に負担がかかるような映像を一体どれだけの人が見たいと思うであろうか。
しかし子供は違う。子供は大人に比べて格段に適応能力が高いし、ある意味で馬鹿である。ゲームなど放っておけば、一日中でもやり続けている。そのような子供たちに仮に健康被害があったとしても、使用説明書に休憩しろと書いてあるからメーカーの責任は免責され、親のしつけが悪いということになるのであろうか。はたして、そういう問題であろうか。
私が『アバター』と『アリス・イン・ワンダーランド』を劇場で見た感覚で判断すれば、子供が3Dゲーム機をやり続けることの心身への悪影響は、少なからずあるように感じられる。ゲーム機でなくとも通常のテレビ放送であっても同じである。1、2ヶ月に1度、劇場で2時間の3D映画を見るのと、家庭で毎日数時間3DTVを見続けることは全然レベルが異なる話である。仮に1日に3時間、5年間続けて3D放映を見たときに子供の脳や健康、心理面にどのような作用を及ぼすかについての実験データなどどこにもない。親の立場で考えれば非常に心配なところである。また脳の依存性の問題も考えられないだろうか。数年後の子供たちが3Dゲームや3D放送に慣れすぎてしまって、もはや従来の平面TVを脳が受け付けなくなった時にはどのような社会になっているのか想像もつかない。子供たちの柔らかな脳を犯すようなことは決してあってはならないはずだ。
これらのことを考えると、3Dテレビが消費者の買換え需要や企業の広告効果を高めて景気浮揚に繋がる、などと手放しで歓迎するのは少し、無責任過ぎはしないか。能天気に、飛び出す絵は楽しい、などと本当にいつまでも言い続けることが出来るのだろうか。
日本の言論には大きな悪弊がある。自らに責任が及ばない間は全体の流れに乗じて煽り立てるようなことを言っておきながら、何らかの問題が発覚して風向きが変わると手のひらを返したようにその当事者たちを悪人に仕立て上げる。しかし、過去の自分の発言に対して責任が持てない人間に権力を糾弾する資格など端からない。そういう人間の集団が必要以上に社会に影響力を行使し得る世の中は、好ましい社会とは私には思えない。本質的な意味での良心があるかどうかの問題だ。
さあ、皆さん。今後の3Dテレビに対する論説の移り変わりと日本社会の成り行きを3Dメガネならぬ裸眼でしっかりと見届けようではありませんか。無力な我々には、そうする以外に道はないのだから。