龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

こどもの日に主張する

米軍基地の問題は、普天間飛行場の移設に限られたことではない。普天間は、我が国における米軍基地のほんの一部に過ぎない。木を見て森を見ず、では日本の将来を子供たちに引き継がせることは出来ない。
鳩山首相は、アメリカの言い成りにはならないと言いながら、日米同盟を深化させなければならないとも言う。交渉ごとは出発点の思考形態に全ての帰結が運命付けられている。チューリップの球根からは、チューリップの花以外は決して咲かないのと同様である。鳩山首相の矛盾思考は、日本人からは優柔不断の八方美人と非難され、欧米人からは日本人が最も理解されがたくまた信用できないパターンのぬかるみにあまりにも深くはまり込んでしまっているように見える。
しかし私は個人的に鳩山首相を批判も擁護する気にもなれない。もともとこの問題は日本の政治トップである総理大臣においても、また政権政党民主党にあっても荷が重過ぎて単独で解決できる限度を超えているのではないのか。
最終的に、ゆきつく所は憲法9条の問題である。私は憲法9条を改正すべきであると主張する。国防のあり方は時代と共に移り変わってゆく。20世紀の戦争は領土の侵略や植民地化と独立開放のための戦いであった。しかし21世紀はこれまでの国家対国家の戦いから、国家間の権力連合対無国籍のテロ組織へと戦闘の構図が変わってきている。冷戦構造下の資本主義社会と共産主義国家の枠組みだけで戦争の脅威を考えるべきではないと思う。戦争放棄の理念は素晴らしいと言えるのかも知れないが、敵の見えにくい新たな脅威に対して憲法9条と米軍のプレゼンスで国民の生命と安全を守ることは出来ないと思う。
日本も世界情勢を正確に分析できる諜報機関を設けて、単独で国家防衛に当たるべき時期に来ているのではないか。また世界的な環境の保護活動も戦争回避と同等レベルで重要な要因となりつつある。そのためには憲法9条を時代の趨勢に合わせて改正し、我が国が自国の裁量だけで動ける範囲を拡げていかなければならない。その新たな枠組みの中で、日米同盟のあり方と米軍基地の問題を総括的に再考すべきだ。そのような筋道があってこそ本来の国家間交渉であり、日本の地位も高めることが可能となるのであろう。憲法改正に向けて、国民投票のための発議を急ぐべきである。