龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

真実に殉ずる覚悟

陰謀について述べていると、少し更新が途切れると何かあったのではないかと思われるのだろうか、アクセス数が妙な動きを示すようである。と言っても総数自体は微々たるものなので、取り立ててどうこう言うほどでもないのであるが。でも一応は皆様方にご心配をお掛けしてはいけないので、きちんと言っておかなければならない。
私は今のところは、暗殺されてはおりません。今だけでなく、今後とも暗殺されることはないでしょう。私はそういう立場の人間ではないからです。ブログの更新が途切れている場合は、いつ何時であろうと単にサボっているだけのことです。それでも尚、万が一、念の為に付け加えておくとすれば、私はこの先の人生においてどのような理由であろうと、自殺することは有り得ません。空想癖のある人間の妄想としてお聞きいただきたいのですが、仮にある日、私の遺体が運河に浮かんでいようと、高層階から墜落死して路上に横たわっていようとも、それは絶対に自殺ではないものです。そういう宣言を今ここに記しておきます。
と、物騒な話で別に私は注目を集めようとしている訳ではない。むしろ反対に必要以上に注目が集まると、話の内容上、不安を感じるものである。そうではなくて私の言いたいことは、政治や報道に関わる人間は、真実に殉ずるためにもこのような「自殺をしない宣言」を生前に証拠として残しておく必要があるのではないかということだ。延いては、それが自分の身を守ることにもつながるものである。その上で、自らの命を投げ出す覚悟で本来の社会的使命を全うするべきではないのか。
私などは誰からも1円たりとも貰っている訳ではないし、誰から守られているわけでもない。もちろんそうであればこそ安全でもあるわけだが、それでもやはりどこか不安である。私のような人間が、こういうことを述べざるを得ないような心情に追い込まれている理由とは、日本の政治やマスコミがあまりにも腰抜けであるということ以外にはない。笑いたければ笑っていただいて結構だが、私はたった一人で日本を救うために闘っているつもりなのだ、これでも。右翼も左翼も関係ない。自分の利益や命を守るためだけに汲汲とするな、と言いたい。三島由紀夫のように切腹しろとまでは言わないが、それなりの立場にある人間は、大義のために死ぬ覚悟も必要なのではないか。どうせ、いずれは死ぬのだから。それが日本の武士道精神である。男なら少しぐらいのことで、ビビるな。饒舌にごまかそうとするな。自分を美化するな。日本人全体の命を守るために気合を入れて立ち向かえ。真実が恐ろしいのであれば、政治や報道の仕事に携わるな。わかったか。そういう私が実は一番、ビビっているのであるが。