龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

犯罪を起こさせない社会システムを構築せよ

週刊誌2誌で中1殺害事件の記事を読んでいて思うところがある。山田浩二容疑者についてであるが、この男は性犯罪者リストに写真が載せられており、覚せい剤の売買でも捕まった経歴のある前科8犯の重犯者であり、2002年には今回同様、中学生男子を車に乗せて連れ回した事件で逮捕され、強盗、逮捕監禁、傷害などの罪で懲役12年の刑が確定し、10年間の懲役の後、昨年の秋に出所したばかりであったということである。
何が言いたいのかと言えば、結果的に山田容疑者は10年間もの刑務所生活の中で全く更生していなかっただけでなく、寧ろ10年間もの抑圧からの反動であろうが、刑務所への入所以前にも増して、より放埒で危険極まりない人間になっており、社会の中にまさに動物園の檻から解き放たれた猛獣のように野放しにされていたということである。法理上の大義では懲役刑の目的は、犯罪者の更生というところにあるのであろうが、私個人がこれまでの人生から学んだ教訓で言えば、人間の人格的な核心部分はそう簡単に変化するものでは有り得ない。子供はともかく人格が完成されている大人に対してはどのような指導や教育であっても、本質的な部分では決して変わらないものである。刑務所の中では誰でも早く出所したいと考えるから模範的な様相を見せるであろうが、犯罪的な傾向のある人間は恐くは一生そのままであろうし、特に再犯率が高いと言われている性犯罪者が一旦出所すれば、当然そのような犯罪衝動がその人間から消滅していることなど有り得ない訳だから、いずれは同じような犯罪を起こす蓋然性が高いということになる。特に今回の山田容疑者のように、その人間が固有的に保有している犯罪性向が、長期的な刑務所生活からの解放という反動と組み合わさると、危険な2種の薬品を調合されて爆発事故が起きるような結果となることは、ある意味においては当然のことなのである。我々は「更生」ということについて再考する必要があるのではなかろうか。これまでの更生概念の基底には、どのような凶悪な人間であってもしかるべき教育や生活指導などで社会に益する真人間に生まれ変わらせることが出来るという思想があるのではないかと考えられるが、それは単なる理想論に過ぎないものである。理想論に過ぎないことは、何よりも性犯罪者の再犯率という結果に如実に示されているものである。懲役や刑務所というシステムの維持には言うまでもないことだが、多大な社会的コストが掛かっているものである。税金を費やしておいて、10年間も刑務所に入っていた男が出所後1年も経たずに本能の趣くままに子供を二人も殺す結果となったことに対して、更生が失敗していた故に世の中にご迷惑をお掛けしましたと謝罪する者も、責任を取る管轄も存在しないのである。理想が理想でしかない現実に対して、犯罪者以外の誰かがその尻拭いをする社会システムになり得ていないのである。それでいながら常に人権であるとか、平等であるとか、差別や偏見の撤廃などという主義だけが高々に喧伝、拡散されている有様である。しかしよく考察すればわかることだが犯罪者の立場を擁護する者は、弁護士であれ精神科医であれ、このような現状を維持することで自らの社会的な発言力や権益を保守しようと為す者が中心となっているものであり、あり得べき正義や道徳の体制と必ずしも一致してはいない。
現実的で健全な社会対応の在り方とすれば、山田容疑者のような再犯性の高い危険人物に対しては、長期の懲役刑で改悛や更生を促すよりも、元より改悛や更生は不可能であるとの大前提に立って、出所後に犯罪を起こさせないように厳重に監視、監督するシステムを構築する必要性がある。具体的に言えば、ターゲットとする人物の位置情報が24時間体制で常時分かるようなマイクロチップを体内に埋め込む施策を前向きに検討すべきである。その情報を一般市民が閲覧できるようにするか、警察当局だけが把握し得るやり方にするかはともかくとして、この方法が採用されれば今回のような犯罪は決して起こり得ないものである。もちろん一生チップを埋め込んだままの状態に据え置くのではなく出所後の5年とか10年の一定期間後にその人間の素行を勘案した上で取り外せばよいのである。山田容疑者にしたところで2002年時の犯行による服役が10年でなく、仮に3年のみで出所後に位置情報捕捉のマイクロチップを体内に埋め込まれていることになっていれば、星野くんや平田さんは殺される悲劇もなかったし、何よりも山田容疑者自身が死刑になる犯行へ突き進む事態から救われていたのである。結局今の世の中の人権派と呼ばれるような弁護士や識者は、結果的に人の命よりも自分たちの主義主張に価値を認めて拘泥しているに過ぎないものである。自分をより美しくより崇高に見せようとするイデオロギーに着飾られた人間ほど醜いものはいない。