龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 56


前回の続きであるが、“生き方に関わる情報”とは“道徳に結びつく情報”と言い換えることも出来る。

道徳という言葉に対して人々は、一般にどのようなイメージを持たれるのであろうか。

私は、若い世代の方々のほうが中高年世代よりも道徳に関して敏感だと思うのである。これをナショナリ

ズムや世の中の右傾化と同一視する向きもあるだろうが、そうではないと思う。たとえば最近の日本にお

ける象徴的な出来事で言えば、ボクシング世界戦の判定に対してTV局に千件にも及ぶ抗議が寄せられ

る。曲りなりにも日本人選手が勝利しているにも関わらずである。私はボクシング好きで昔から世界戦の

TV中継はよく見ていたのだが、以前の判定はもっとひどかった。しかし放映しているTV局に今のよう

に猛抗議がなされるようなことはとても考えられなかった。

TVタレントや女子アナウンサーの不倫に対してもバッシングが凄い。番組のレギュラーから外せという

投書や電話が殺到する。なぜなら顔も見たくないからだという。こういうことも一昔前には考えられない

ことだった。日本人はそういうことにはもっと寛容だったはずなのである。

なら近年のこのような傾向をどのように考えるべきなのか。日本人は、特に若者世代は道徳的に潔癖にな

ったのか。私はそうではないと思う。

欺瞞的に統制された情報や道徳が結局は自分たちの為になるものでないことを見抜いている人々が、自分

たちの手に道徳を取り戻そうとしているのである。

若者の方が身体性が発達しているのでイデオロギーに汚染されていない分だけ本能的に自分たちの将来を

損なう嘘を見破る能力が優れているのだと思う。もちろん不倫や疑惑の判定が諸悪の根源だということで

はない。自分たち(社会)にとってプラスになる“道徳感覚”を希求しようとするうねりのようなものが

大きなエネルギーで蠢き始めているのだと思う。そのエネルギーが時を得ていびつな形で噴出しているよ

うに私には見える。

一方で政治と金にまつわる不正や役所の裏金工作、食品の産地偽装や賞味期限改ざんの問題などが新聞紙

上やTVで連日のように報じられている。

それならこれも道徳の問題なのか。不倫や疑惑の判定と同類なのか。確かに同様に道徳の問題だとも言え

る。しかし不倫や疑惑の判定に対する糾弾と同類であっても同質ではない。政治家や官僚の不正、食品の

偽装や残業代のピンはねなどはもちろん社会的に大きな問題であることは確かなのだが、その構造は“権

力対市民”、“資本家対労働者”という伝統的かつ垂直的な2項対立の図式であって市民自らが水平的か

つ自主的に世の中を変革していこうとする胎動を見えにくくさせてしまう。悪く言えば覆い隠し、隠蔽し

てしまうとも言える。

我々は、我々の将来のためにも権威的なものが絶えず押し付けてくる対立の構図を尊重しつつ時に破壊

し、自らが真に社会に役立つような“対立のテーマ”を見つけ出して顕在化させてゆかなければならない

のである。それが既存の権威たちの既得権益に反することがあったとしても我々市民に一体何の関係があ

るというのだ。

それらがメディアの構造改革が必要だと私が強く思うところの理由なのである。我々日本人はもっと豊か

にもなれるし、幸福にもなれるはずである。そして国際的に真に信用され、尊敬される国民に生まれ変わ

れるはずであると私は信じる。