龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 80


大阪府橋下知事朝日新聞の社説に噛み付いたようだ。山口県母子殺害事件、被告少年の弁護方針に対

し橋下氏がテレビ番組で被告弁護団への懲戒請求を呼び掛けた件についてである。弁護団からの損害賠償

請求を認めた広島地裁の判決を受けて、朝日新聞社説は、「判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしな

いだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。」と書いた。

橋下知事はからかい半分に批判されたとして激怒し、朝日新聞に対し事実誤認もあるから廃業しろなどと

吠えている。


私の率直な感想を言えば、そもそも弁護士なる者は基本的に保守的である。弁護士だけではないのかも知

れないが、これまでの日本の司法というものは一つの業界団体のようになっていて、そこに携わる人間た

ちが閉鎖的で特異な世界の秩序を維持することで保護される権威が彼らの既得権益になっていた。だから

弁護士が他の弁護士への懲戒請求を扇動するなどということは、本来絶対にあり得ないことである。なぜ

なら言うまでもなく明日は我が身だからだ。そんな身内同士の喧嘩をしても無意味だから、弁護士が安易

懲戒請求の制度を利用したり勧めないという暗黙の協定が出来るのは当然である。それ以前に弁護士自

治そのものが公権力の介入をさせないことによって、弁護士の地位や自由な活動を保障するためにあるの

だから、弁護士が弁護士を批判するために懲戒請求を利用するという行為は制度の根本的な趣旨に矛盾し

ているとも言える。

橋下氏が閉鎖的な司法の世界に風穴を開ける目的で、あるいは自らの法的な正義感や信念からそのような

異端的なことをTVで言ったのであれば勇気があって賞賛に値するものだとも言えよう。しかし橋下氏の

発言は誰が見てもタレントとして、圧倒的多数の市民感覚(視聴率)に媚を売っていたものとしか思えな

い。

仮に当時橋下氏がタレントではなく、単に一人の弁護士として山口県母子殺害事件の弁護方針について意

見を求められたのであれば、はたして懲戒請求を呼び掛けるような発言をしたであろうか。ご当人はタレ

ントでなくとも同じ考えだったから発言したと主張するかも知れないが、私には到底信じられない。その

ような馬鹿げたことを言うわけがない。何の得にもならないからだ。

その証拠に第一審で敗訴した途端に自らの非を認めて謝罪しているではないか。弁護士の正義や信念がそ

んなそんな簡単に変節するものだろうか。裁判の判決は裁判官によっても変わるのだから、素人が考えて

も橋下氏の態度はいい加減である。「私の法律解釈が間違っておりました」と殊勝なことを言っていた

が、馬鹿なことを言うなと言いたい。法律解釈などまったく関係ないではないか。

単に自分がタレントから知事に転身して身の拠り所が変わったから、発言も一見もっともらしく様変わり

しただけのことである。立場相応の考え方もあるだろうからタレントと知事では発言に多少のずれがあっ

ても止むを得ないが、それなら、

私のタレント時分に弁護士としての職分を離れた軽率な発言でたくさんの人にご迷惑をおかけしたことを

お詫びします。

と言うべきである。“法律解釈が間違っていた”というような姑息な筋道のすり替えは、本当に見苦しい

もので気分が悪い。なぜなら司法の世界に身を置く人間特有の傲慢さがにじみ出ているように感じられる

からだ。そのような性質の人々が、死刑や懲役などの人間の運命決定に深く関わっていると思うとやり切

れない気分になる。今日、市民全般の司法に対する不信感はかなり根深いものがあるが橋下氏は、当の司

法関係者がそのような事実をまったく認識できていないことを示す象徴のような人物である。

また橋下氏の一連の態度は“こうもり”的であるとも言える。その時々で都合よく哺乳類(弁護士)にな

ったり、鳥(タレント)のようにさえずる。多才であると言う人もいるであろうが、単に調子がいいだけ

ではないのか。どこか中途半端で信用性に欠けるのである。よって朝日新聞が“弁護士資格を返上すれば

どうか”と書いたことは、からかい半分などではなく極めて真っ当な意見だと私には思われるが、橋下氏

には永遠にわからないであろう。わかるような感性をもともと持っていないからだ。自分のことしか考え

ていないのに偉そうなことを言うなよ。偉そうなのは新聞報道ではなく橋下氏自身ではないのか。弁護士

にこのような特権階級的な意識を持たせる司法界のあり方そのものが日本の大きな問題である。テレビに

出てふざけている弁護士たちも皆、同類である。

大阪府民としては橋下知事に馬車馬のごとく働いていただきたいという気持ちはある。素人の政治が前

例や癒着に囚われず、勇猛果敢に改革に突き進むという魅力はある。しかしいずれ鍍金は剥がれ、馬脚は

現わる。今年の5月に30年ぶりで中学時代の同窓会があって、大阪府庁に勤めている男と話しをした。

橋下知事の話しになって、その男が「年下だけど一応上司だからな」と苦々しそうな表情で言うので私が

「4年間の辛抱じゃないか」と励ましてやると、その男は「いや、おそらく4年持たないと思うよ」と言

っていた。

職員は冷静に分析しているのだなと妙に感心した。勢いよく先頭を切って飛び出したのはいいものの、第

四コーナー(4年目)まで持たずに第二コーナー(2年目)辺りでへばってくるのかも知れない。今の発

言を聞いていると、へばるだけではなくて何らかの事故で骨折するのではないかとも思えてくる。競走馬

が骨折して予後不良となれば安楽死である。

はたして橋下知事安楽死の運命となるのか、それとも意外と秋華賞のような1000万馬券に化けるの

か、先の事は誰にもわからない。ただ我々は見守るだけである。