龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 118


それで刑事の助言に従って、妻との交渉における弁護士を立てることになった。他に当てもないので両親

の裁判の時と同じT弁護士に頭を下げてお願いせざるを得なかった。しかしこの選択が大きな過ちだった

のである。悪いことは続くものである。T弁護士は元々、大阪弁護士会の法律相談センターで紹介された

のだが、当然弁護士としての基本的な能力は兼ね備えているものだと思い込んでいた。こちらは素人なの

だから誰でもそう思う。しかし後に判明したことだがそうでもなかったのだ。というより、かなりひどか

った。追々、書いていくことにしよう。T弁護士にマンションの鍵を付け替えられた事情を話したとこ

ろ、妻の感情的な問題が大きいからある程度時間をかけながら、生活費(婚姻費用分担金)の減額や最悪

の場合、マンションからの退去も含めて交渉していこうということになった。その方向性に関しては私も

賛成であった。子供との面談についてはT弁護士と、妻側のM弁護士との話し合いで週末にマンション近

くの公園で子供の受け渡しをするということになった。私が公園から携帯電話で連絡すると、妻が自転車

の後ろに子供を乗せてやってくるのである。それから車で私の実家に連れ帰り、どこかに遊びに連れて行

ったり勉強を教えるなどした。当日の夜に夕食を食べさせてから帰らせるか、月に1~2回は泊まらせ

た。妻に子供を返すときはまた公園で落ち合う。マンションと私の実家の距離は車で5分ほどである。鍵

付け替え事件以降も、妻は私に子供と会わせないということは基本的になかったが、私がマンションの近

くに来ると恐怖を感じると言い続けた。しかし公園では普通に私と顔を合わせていたし、携帯でも頻繁に

やり取りをしていた。弁護士同士の取り決めなので私は真面目に従っていたが、3ヶ月ほど経つと雨の日

は妻は濡れるのがいやなのかマンション前まで来てくれと言うようになった。しかしその次の面談日が晴

れていればまた公園に戻った。しばらくの間そういうことを繰り返していた。

ここで少し話しが横に逸れるが、妻のM弁護士について書かせてもらうことにする。M弁護士は、両親の

控訴審で妻の兄の代理人として初めて登場した。第一審の時の弁護士とは変わっていた。私が妻との交渉

においてそれまでの裁判同様にT弁護士に委任すると、自然に妻にもM弁護士が付くこととなった。Tと

Mは昔からの知り合いで心安い関係であったようだ。どういう繋がりだったのかは知らないが、TがMの

先輩格で年齢も上であった。それでTはMの個人的なこともわりに知っていた。たとえばMは当時40歳

位であったが、未だ独身であったというようなことをである。またMと妻の兄(Kとする)は友人関係で

あったことから代理人を引き受けることになったとの情報もTから聞いた。私は、Kに弁護士の友人がい

ることが意外であった。それだけではなくMはKからも妻からも、少なくとも私がTから話しを聞いた時

点では無報酬で弁護を引き受けているということであった。(最終的な清算についてはわからない。妻は

支払ったと言っている。)いくらなんでも弁護士が友人関係であるという理由で無料で受任するというこ

とは少し不自然である。妻はともかく当時のKは父親から相続した財産を回りに見せびらかしながら生き

ていたような人間なのだ。弁護士が無料で助けてやらなければならない対象ではないはずである。それを

Tに言うと、「Mには断れない事情があるようだ。」と妙な答えが返ってきた。「MはKに借金でもある

のか。」と聞くとTは「さあ、知らない。」と言って口をつぐんでしまう。どうも私が感じたところTに

はその背景がわかっているが、敢えて黙っているというような雰囲気があった。ともかくTの話しから、

Mは本心では引き受けたくないが何か断れない理由があって引き受けている、ということだけはわかっ

た。実は私にはKとMの関係について思い当たるところがあった。Kがある慈善団体(R)に加入してい

ることは、妻との結婚直後にKから直接聞いていた。当時、Kが一番年少の会員であったことや、どこそ

この市長も会員であることを自慢げに話していた。それで、私がTに「KはRの会員であるがMもそうで

はないのか。」と聞くと、Tは素っ気無く「それならそうかも知れない。」と言った。Rは警察組織との

関係も深い全国組織の団体である。よく似た姉妹組織にLという団体もある。一部ではRやLはフリーメ

イソンの下部組織であると言われている。RやLは対外的には否定しているようだが、よく似た性質の組

織であることは事実である。どちらも会員間の“友愛精神”をモットーとしているものである。フリーメ

イソンはご存知の通り陰謀論の代名詞にされているが、超国家レベルでの影響力や計画への関与について

私のような一個人が断定できる訳がない。しかし日本国内に、フリーメイソン的というか友愛精神を標榜

するネットワークが存在することは歴然とした事実である。以下は私の勝手な想像であることを先にお断

りしておく。明確な根拠や証拠はどこにもない。私は慈善団体のRやLは実質的にフリーメイソンの傘下

に位置しているのではないかと考えている。RやLの他にも、フリーメイソン支配下にある組織は、相

当数あるのではないか。日本は欧米と違って、“フリーメイソン”という名称から受ける一般的な印象が

あまりに悪すぎるので、例えは悪いが暴力団フロント企業のように本体との繋がりを隠した組織がいく

つか存在するのではないのか。それらフリーメイソン的なる組織の外見は一見、金持ちの社交クラブであ

る。実際に末端組織はその程度のものに過ぎないのであろう。戦争を引き起こし、世界経済をコントロー

ルし、人類を家畜化するなどと言った陰謀論の本で仰々しく語られる内容と社交クラブ内の交友とはかな

り隔たりがあるのかも知れない。しかし私は必ずしも陰謀論の本で書かれていることを鵜呑みしているの

ではなく、フリーメイソン的なる組織に共通したある匂いを直感的に感じ取るのである。それは“悪魔崇

拝”である。Kにもそのような匂いがあった。但し正確に表現すると、それは悪魔崇拝というよりも“悪

ごっこ”である。悪魔を本気で崇拝するほどの高尚さは伺えないが、悪魔ごっこをして戯れるキッチュ

な気配がそこはかとなく漂っている。どこか子供っぽいのである。しかしそのようなキッチュな雰囲気は

悪魔の策略であるとも見れる。なぜなら低俗な“ごっこ遊び”こそが悪魔の目的と力を隠す最良の方法で

あるからだ。まともな良識のある人間なら誰でもごっこを前にして立ち止まり、それ以上その領域に侵入

しようとは思わないであろう。言うまでもなく悪魔はとても頭がいいのである。その上、ユーモラスでさ

えある。

これ以上の論述は本題から外れすぎるので別の機会に改めて“現代の悪魔論”を書くことにしよう。

要するにMがKの依頼を引き受けざるを得なかった背景には、そのようなごっこ的な友愛精神の縛りがあ

ったからではないかと私は想像している。世間一般では悪魔崇拝など、映画や漫画の中だけの虚構である

と考えている人が大半ではなかろうか。しかし悪魔崇拝ごっこ)はほとんどの人が知らないだけで、本

場の欧米ではない日本国内にあってさえ一部の金持ちや資本家、官僚、弁護士、政治家、メディアなどに

おいて地下深くでかなり広範に広がっているのではないかと私は危惧している。それらの全体的な流れは

極めて巧妙で、とても見えにくいものだ。しかし悪魔ごっこに興じている人間にはある特徴があってよく

観察していると見分けがつく。悪魔のしっぽのようなものがあるのだ。先ず第一に彼らの発言には、正義

や道徳に準じているようでありながらも、どこか奇異で時代錯誤的な印象がある。第二に彼らは本質的に

差別主義者である。友愛の紐帯には民族差別があり、女性差別があり、身体障害者への差別がある。彼ら

の唱える理念や道徳はそれらの差別思考を隠し、均衡を保たせるための詭弁的な社会支配の手段に過ぎな

い。第三に、彼らは広範な交友関係を自慢したがる傾向が強い。Kは精神科医とのつながりを吹聴してい

た。「友人の友人はアルカイダだ。」などというのも同じである。

但しそのようなフリーメイソン的なるごっこを直ちに悪だと断じることは出来ない。少なくとも会員の個

人間レベルで見る限りそれは彼らの趣味の問題であって、趣味の悪さを声高に批判することは誰にも出来

ないということである。

私もお仲間に入れていただきたいものだ。私ならもっと上質な悪魔ごっこが出来るであろうに。もちろん

嫌味に過ぎないが。