龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 119


話しを元に戻すが、私はTを通じてマンション鍵の原状回復を要求し続けた。ところが妻は頑迷に応じよ

うとはしなかった。その時点において既に私も妻も訴訟の当事者として争っていたわけで、夫婦関係を良

好に軌道修正させようという気持ちなど双方とも無かったから、自然の成り行きであるとは言える。しか

し妻が取った鍵付け替えの方法が道義的に、また法律的にも正しかったのかということだ。しかし私には

子供のことがあるので、さほど強腰の態度を取れない弱みがあった。子供には学校や習い事、また近所で

の友達関係などそのマンションでの生活環境がしっかりと根付いている。実質的に妻と子供は一組のセッ

トになっているようなものだから、妻子をマンションから追い出すという強硬手段は非常に困難であっ

た。しかし状況的に、マンションからの退去要求を想定させて交渉を進めていく以外に、話し合いの余地

などまったくなかったのである。私はその後、ぎりぎりの選択を迫られることとなった。

Tとの相談で月々の生活費送金を大幅に減額することにした。本当はその生活費以外に、マンションのロ

ーン代や管理費、子供の習い事など私の銀行口座から自動的に引き落とされている合計が結構な金額にな

るので(それらも当然、婚姻費用分担金であるから)、妻への送金は0にしても良かったのだが、子供の

ことを考えると最低限の光熱費や食費代までストップさせることはやはり出来なかった。元お嬢様(だっ

たのだかどうか知らないが)の妻を働きにやらせることは難しいし、たとえ本人がその気になったとして

も今のようなご時世でパートとは言え、妻に雇い主が見つかるとは私自身、到底思えなかったからであ

る。

一気に書き上げようと思ったが、長くなり過ぎるので続きは次回に回す。

私の気が変わらなければの話しである。

今更ではあるが、何で私はこのような、“どうでもよい”ことを長々と書いているのだろうか。しかしそ

れを言うなら、何で私はこのような“どうでもよい”人生を生きているのかという根源的な自問に戻って

しまうことになる。生きている限り、何らかの形で表現し続けなければならない。

あなたたちもそうなのか。

私は結局のところ、自分以外のことがよくわからないのである。