龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 141


今年の6月にやっと離婚が成立したことは以前にも書いた通りである。私が9歳の息子の親権を取り、元

妻と息子は転居せずにそのまま私が所有しているマンションで暮らしている。和解調書においては息子が

高校を卒業する18歳の平成31年3月末日まではマンションに無償で居住することと、息子が満20歳

に達する日の属する月まで養育費の支払義務があることを認める内容となっているが、一方で息子が高校

を卒業する際に本件マンションの明渡し時期の具体的日時を息子の進路や養育費の額、その終期などと合

わせて改めて協議するとの文言も付されている。

それら曖昧さが残る和解項目は互いに矛盾しているとも言えるものだが、元々私が希望する離婚の形態が

共同親権を模倣するものであり、高裁の裁判官もそのあたりの事情をよく斟酌してくれて10年後の私と

息子及び元妻との関係性の変化に柔軟に対応出来るようにしてくれたものだと私は理解しているから文句

はないどころか満足し、感謝もしている。要するに10年後の時点で私が息子や元妻とまったく疎遠にな

っているのであればマンションから退去させ、当然養育費も20歳で打ち切りとなるが、それなりに親密

な交流が継続されているのであればマンション居住や養育費の支給も協議して延長してもよいのではない

か、ということである。

私は自らの離婚とその後の生活を、日本が離婚後の共同親権を導入するための生きた実験台として捉え、

天命としての自らの使命を自任する者である。

それで離婚後、半年を経た現時点での私や元妻、息子などの生活を包み隠さず報告させていただくことに

する。私と息子との関係は離婚前と同様にいたって良好である。毎週日曜日は息子と過ごしている。最近

息子はボーリングにはまっていて6週続けてラウンドワンに二人で通っている。土曜日は月に2回ほど泊

まりで私の実家に来ている。息子はマンションでは母と子の二人だけの生活であるが、私の実家に来れば

父親である私だけでなく祖父や、祖母とも一緒に食事をすることになる。一家団欒の家族らしい雰囲気を

息子はマンションではなく私の実家で味わうのである。それで私もいい年をしてみっともないことではあ

るが実家で両親とともに住まざるを得ないこととなる。私がどこかの賃貸マンションで一人暮らしをすれ

ば息子はそれこそ母の元と、父の元を伝書鳩のように行き来するだけのわびしい生活スタイルを押し付け

られることになるからだ。また私は養育費以外にマンションのローン代や管理費、スイミングスクールや

英会話などの習い事の費用も負担しているので経済的に到底、新たに賃貸マンションの敷金や家賃を支払

うことなどできない。(因みに本来は住居費や教育費も養育費に含まれるべきものだが、私の場合は親権

者ということもあり分離して取り決めているのである。)実家には私と息子の食費名目で月に数万円の金

は入れているが、家賃も敷金も不要である。それに職場が実家に隣接しているので一日の時間が有効に使

えて非常に楽である。これらの理由により私の離婚後の生活スタイルはどうしても現状のごとくならざる

を得ないものであると言える。

それでは元妻の生活状況はどうかと言えば、私が毎月送金している養育費は息子のマンションでの食費と

光熱費ぐらいは何とか賄えるであろう金額である。母子共に十分食べていける金額にはほど遠い。離婚し

ているのだから元妻には、自分が食べる分くらいは自分で働いて稼げと言ってある。母子手当ても申請し

て認められているようだから、たとえパートででも月に6~7万位の金を稼ぐことが出来れば、住居費も

主だった教育費も要らないのだから十分食べていけるはずなのである。その上、母子家庭の医療費はただ

に近いような金額である。元妻は母子家庭にしては恵まれているのである。少なくとも悲惨という言葉は

相応しくない境遇である。本人もその辺りは自覚しているようで以前から仕事探しをしているようなのだ

が、なかなか見つけることが出来ない。ちょっと贅沢なところがあって飲食店はいやだと言ったりしてい

る。少し前にはようやく仕事が決まったと喜んでいたのだが、それはダスキンの仕事であった。奈良に住

んでいる私の妹もその仕事をしているのであるが、ダスキンが契約している各家庭を車で巡回してモップ

などの掃除備品を交換して廻るのである。それでパートとして雇われるにあたって保証人のハンコが要る

のだが、元妻の担当エリアは大阪の西成地区であった。元妻は自分の母親に保証人になってもらうために

仕事内容を説明したところ、「そんな“当たり屋”がぎょうさん出没するような地域を車で走り回る仕事

の保証人になんかようならん。」と断られて結局ご破算になったそうである。私はこの話しを元妻から聞

いたときには思わず笑ってしまった。私でも“ようならん”からである。

そんなこんなで元妻は未だに仕事が決まらないようで相変わらず“生活が苦しい”とぼやいている。但

し、私と元妻との交流というかコミュニケーションには抵抗感や隔たりはほとんどない。もちろん離婚し

て他人同士だから、というより籍が入っていた別居期間中からそうであったが元妻と息子が住んでいるマ

ンションに私が立ち入りすることはない。週末に車で息子を迎えに行ったり送り届ける時にもマンション

1階の集合玄関前までで部屋の中には入らない。しかし私は電話で息子のことについて学校のことや普段

の生活状況をしょっちゅう元妻に聞いているし、元妻も私にわからないことを聞いてきたりいろいろな相

談をしてくる。細かなことではパソコンの操作方法のことで聞いてきたりもするし、何でこんなことを私

に相談してくるのかと思うようなものもある。具体的に言えば、最近もこんなことがあった。