生きること、書くこと 125
選挙が終わって政権交代したばかりであるが、今後の中・長期的な民主党政権と日本の行方を大胆かつ無
責任に予測してみたい。
まず来年の参議院選挙の結果が一つの大きな指標となるであろう。今後、一年ほどの間に鳩山政権に対す
る国民やマスコミの批判が、外交や財源の問題などで現実問題として顕在化していくであろうから、これ
までの自民党批判に後押しされた民主党支持の流れはブレーキがかかったように減速することになると思
われる。また、参議院は“良識(再考)の府”とも呼ばれる通り、国民の投票心理においてもバランス感
覚が働いて自民党優位になることが想定されるので、民主党の単独過半数は難しいのではないだろうか。
社民党や国民新党は閣僚として存在感を上手くアピールすることが出来れば議席を大幅に増やすであろ
う。
問題は次の衆議院選挙である。次回の衆議院選挙で日本の今後の方向性が完全に確定されるように思われ
る。おそらく任期の4年は持たないであろう。鳩山政権が行き詰まって次の総理大臣が選任される時期
に、民主党の政権担当能力そのものが問われることになり解散総選挙となるのだと予想される。よって2
年後位にまた衆議院選挙になる可能性が高いのではないだろうか。
その結果については二通りのパターンが想定される。まず今回の選挙がこれまでの自民党の長期政権を打
ち壊す歴史的な結果であったことから、次の選挙は大地震の揺り戻しのような民意の力学が働くと思われ
る。今回の議席数からの微増、微減で安定することはちょっと考えにくい。また大きく動くのだと思う。
第一は自民党が復活することである。200議席位で民主党と自民党が拮抗して並んでしまうか、あるい
は自民党が完全に形勢逆転してオセロのように、またもや3分の2位の議席を取り返してしまうかであ
る。
第二は反対に民主党が今以上に躍進して、自民党は公明党位の議席数(20~30)まで減少してしまう
ことである。こうなると自民党はもはや半永久的に与党に復元する力を失うばかりか、二大政党の一翼と
しての資格すら認められないので党自体の存亡が根本的に問われることとなるであろう。
私自身は正直なところ後者の方が可能性として高いように思われるのである。その理由は国民がこれまで
の自民党権力そのものに条件反射的な拒否反応を示し始めてきたことと、長期的な時代のスパンで見て自
民党の役割が終焉しつつあるように感じられるからである。参議院で民主党の暴走に歯止めをかける位の
位置付けがちょうどよいのではないだろうか。自民党は時代の変化を敏感に読み取って、自ら変わること
が出来なかったのだから自業自得である。
後者の第二のパターンになった場合に日本の二大政党制はどうなるのかと言うと、小沢一郎は民主党を二
つに割るであろう。小沢対反小沢が日本の新しい二大政党の構図となるのであろう。私はそういう気がし
てならない。たぶんそうなるのであろう。ただし民主党にも大きな問題がある。人材不足であるというこ
とだ。総理の座を担える人物がほとんどいないということは致命的である。鳩山の後を考えると非常に心
許ない。
鳩山由紀夫とは一体どのような人物なのであろうか。雑誌Voice寄稿の“私の政治哲学~祖父に学ん
だ「友愛」の旗印”を読んで感じたことがある。全般的には日本が進むべき針路について、時代の変化に
合った正しい感覚を持っているように思われるのだが、やはり“友愛”の言葉が鼻に付くのである。
友愛とはフリーメイソンの理念だ。鳩山一郎はフリーメイソンであることを公言していた。鳩山一郎が
『全体主義国家対人間』という書物を読んで共感を覚え、『自由と人生』という書名で翻訳、出版したと
いう、汎ヨーロッパ運動の提唱者クーデンホフ・カレルギーもまたフリーメイソンに入会していた。鳩山
由紀夫は祖父、鳩山一郎とクーデンホフ・カレルギーに強い影響を受けているようである。
ならば当然、鳩山由紀夫もフリーメイソンリーなのかと言えばそれはわからない。私の印象では、鳩山由
紀夫はフリーメイソンの友愛精神を理想の対象として一定の距離感を持ちながら美化しているように感じ
られる。友愛が内面(人格)化された言葉としてではなく、憧憬として伝わってくるということは鳩山由
紀夫自身はフリーメイソンリーではないのではないかという気がする。
その点、弟の鳩山邦夫の方はいかにも実務的なフリーメイソンリーに私には見える。そもそもフリーメイ
ソンという組織は秘密主義集団であるので、会員がそれも首相の地位にある者が公然と友愛精神を啓蒙す
ることは考えにくい。ビル・クリントンが大統領の職を利用してフリーメイソンの宣伝をするようなもの
である。
鳩山由紀夫の元々の気質は理想主義者であって、少し現実離れしたところがあるので政治家よりも学者タ
イプなのであろう。理想主義者のお坊ちゃまだから、汚いことや不正に魂を売り渡すようなことはないで
あろう。その点は自民党と違って評価できる。しかし夢心地のような憧憬としての友愛を乗り越えて、新
しい社会を作り上げることができるかどうかとなるとかなり疑問ではある。
政権は交代したが相変わらず、日本の行方は混沌としている。
官僚から政治家へ、そして最終的には日本のポピュリズムが一つの層として力を持たなければならないの
だ。マスコミもまた敵である。