龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 146


関連してもう一つ言いたいことは、“交渉事”は相手が強大に見えようともそう簡単に諦めたり、引き下

がるべきではないということだ。もちろんそれは、“ごね得”や“無茶な要求”を奨励するものではな

い。それでは単に悪質なクレイマーに過ぎない。だが自分に是があると思える時には、実は相手が強大で

あるほどこちらが有利になるという逆転が生じる。なぜなら国家であれ大企業であれ社会的責任を無視し

続けることは出来ないからである。だから、これは法律(条例)ですから、とかこれはわが社の規則です

からなどと高圧的に言われてもまったく怯む必要はない。論理的に我慢強く、その法律や規則がいかに道

理に合わないものであるかを主張し続けることは、民主主義社会にあって決してルールやマナーに背くも

のではないということだ。もちろん個人レベルで法律や規則を変更させることは不可能なのだが、現実的

にはほとんど運用や解釈の範疇でごまかしが効くものである。

たとえば先に書いた法テラスの元妻に対する請求の件に関しても、元妻は当初相手は国なのだから争って

も勝ち目はないと悲観していたが、私はそんなことはないと言ってやった。その請求金額に同意すればそ

の通りに決定し、不服ならば不同意にしてその理由を申し立てれば必ず減額される。そんなものなのだ。

法テラスの担当者にしても自分の腹が痛むわけでもないし、そもそも弱者救済の看板を立てておきながら

相場よりも高額の請求をする方が間違っているのである。

私と元妻の離婚訴訟においても、私の弁護士は当初から親権は無理だと言っていた。私が親権を取得する

ことを元妻が了承するとは考えにくいし、判決になれば100%、妻のもとに親権がいくと弁護士は何度

となく私に言ったものだ。確かに息子はマンションで元妻と一緒に暮らしているのだから常識的にも、法

律的にも弁護士ならばそう考えるであろう。しかし私はそうではないと言い続けた。最終的には私が親権

を取得する可能性が少なからずあるから、そう簡単に諦めたり決め付けないで欲しいと頼んだ。息子が元

妻と一緒に住み続けることには私も賛成であったが、経済的には離婚後も私が最低限以上の責任を持ち続

けなければならない。日本に共同親権がないのであれば親権と監護権を分離する以外に方法はないし、ま

たそうすることが最良の選択であることは誰の目にも明らかだからそうならざるを得ないと私は踏んでい

たのである。そもそも離婚した母親がシングルマザーとして経済的に自立しなければならないという生活

モデルを無理やり押し付ける国が間違っているのだ。能力やキャリアのある女性であればそれでもいいの

かも知れないが、いや自立できる女性であっても共同で離婚した元夫と子育てする道が子供のために用意

されていなければならないはずである。このあたりの事情は日本の司法や世論はかなり奇妙なイデオロギ

ーで歪められているように私は思い込んでいたのだが、実際には離婚を経験してみて必ずしもそうではな

いことがよくわかった。

私の経緯で言えば、離婚調停において最終的には決裂したものの親権と監護権を分離する案を当初から調

停員も支持してくれていたし、それで成立しかけていたのである。その後訴訟になって元妻は態度を再び

硬化させ、離婚も親権も認めないと主張し、高裁まで持ち越したのである。私は陳情書を書いて、日本に

離婚後の共同親権が認められていないことがいかに子供たちの人生から本来受け取るべき利益を奪ってい

るかを畠山鈴香の例まで持ち出して切々と訴えた。その上で今後、日本が共同親権を法制化させるために

はその第一歩として勇気を持って親権と監護権を分離する判決を書いて欲しいとお願いしたのだ。私は裁

判官を洗脳するぐらいの強い気持ちで書いた。因みに担当裁判官は弁護士から聞いたところによると私と

同年齢ぐらい(40歳代)の女性であったらしい。そうしたところ私の気迫が伝わったのであろうか、裁

判官がその陳情書を読んだであろう翌日に法廷に出席していた弁護士から私の携帯に電話が掛かってき

た。声の様子から弁護士が驚いているような雰囲気が伝わってきた。弁護士は訴訟になって元妻が態度を

硬化させているので親権はほぼ無理だと考えていたようであったが、「裁判官は判決文を書く場合には母

親を親権者にするが、母親に親権と監護権を分離する案を認めてもらうように説得すると言っています。

流れが変わったので親権の芽が出てきました。」と伝えた。私は高裁の裁判官といえども頑なな元妻の考

えを覆すことはできないと考えていたが、どのように説得してくれたのかわからないが、結局私が当初か

ら予見し、要求してきた通りの和解内容に落ち着いたのであった。私としては本当は親権と監護権を分離

する判決文を書いて欲しかったのであるが、そこにはやはり大きな壁があったものと見れる。現在、離婚

して半年あまりであるが少なくとも現時点では、共同親権的な関係性が息子のためにも私と元妻にとって

も正しかったことが、ここまで読んでいただいた方にはご理解いただけるものと思える。私はたとえ高裁

の判決で親権者が元妻になっていたとしても最高裁への上告は考えていなかったが、その後も条件交渉を

継続させて親権を取り戻すつもりでいたのである。また出来ると信じていた。

要するに交渉は諦めた時点で負けなのだ。それは調停や裁判だけでなく外交交渉も同じだと私は思う。バ

ックにどんな権力や軍事力、圧力があろうとも最終的には生身の人間対人間の勝負なのである。またまた

話しが飛躍してしまうが、沖縄の普天間基地移設問題にしても私としては最後の最後まで様々な圧力に屈

するなと言いたい。日米関係の危機であるとか計画の白紙化を懸念する声があって当然かとは思うが、そ

ういうことも踏まえた上で日本の基本的な要望として国外移設をはっきり言明すべきだと言いたい。交渉

は諦めるか、粘るか、二者択一のゲームである。気迫がなければ流される運命を受け入れるしかない。焚

きつけるつもりは毛頭ないが、日本は根無し草のように流され続けて今日に至っているのである。これ以

上どこに流されるというのか。私の離婚後の生活と雑感は以上のようなものである。明日のことは誰にも

わからないとは言え、全体のムードの中で国家もろともに流されるつもりは私にはない。

ああ、まとまりのない文章を長々と書き連ねてしまった。言いたいこと、伝えたいことがあまりに多すぎ

るとこのような悪文になってしまう見本のようなものである。まとまりはないが、私は一貫していると強

がりを言って、今日のところは“さようなら”だ。私の魂はいつも日本と共にある。