龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

計画停電と日常

計画停電とやらは、今回、初めて実施されたようだが、地震多発国の日本にとって、そういう最悪の事態は充分に予見できたことではないのか。
電力の供給不足量を3段階ぐらいに分類し、シミュレーションで、市民生活にもっとも影響の少ない停電のさせ方のマニュアルを作り、事前に各業界団体や役所、病院、全ての国民に周知徹底させるような措置が、どうしてこれまで取られてこなかったのであろうか。今回の東北大震災で改めてわかったことだが、日本は本当に日頃の危機管理が粗末な国である。“備えあれば、患えなし”とは、まさにこのような事態のためにある警句である。
数時間前の通達だけで、鉄道のダイヤが減数され、信号や踏切が止まってしまえば、都市生活がパニックに陥るのは当然である。大混乱するだけでなく、極めて危険である。これを機会に、是非、精密な計画停電のマニュアルを政府と電力会社が共同で作っていただきたい。きちんとルールを決めておけば、必要以上の混乱も揉め事も起こらないのである。法制化してもよいのではないか。政治家がくだらない政争ばかりに明け暮れて、これまでいかに国民の生活や生命がなおざりにされてきたかが、今回の停電騒ぎでよくわかったことであろう。
また、TVを見ていると誰もが感じられることとは思われるが、地震発生の4~5日ぐらいはコマーシャルもなしに各局、緊急報道番組ばかりである。しかし、同じ映像を何十回、何百回と垂れ流し続けるだけで、正直なところあまり情報として質が高いとは思えない。反対に言えば、情報が不足しているからこそ、同じ映像を繰り返し流し続けることになるのだろうが、被災者の人々はTVを見れていないのだから、あれも電気の無駄みたいなものである。大地震の時には、TVよりも乾電池で情報を入手できるポータブルラジオの方が、よほど有益である。ところが最近では、携帯電話や液晶テレビばかりが熱心に売られていて、ポータブルラジオをめっきり見なくなったような気がする。各家庭で大地震に備え、ラジオと新しい乾電池を常備しておくことが、自分や家族の命を守ることになるのであろう。またラジオ放送を通じて、特定地域の避難所情報や、家族の安否確認にアクセスし得る、より効果的な方法を模索していくべきではないか。
民放のTV局は地震発生後、1週間を過ぎる頃より、公共広告機構のCMばかりを流し始め、タイミングを見計るように民間企業のCMに徐々に切り替えていこうとし始めている。その内に、震災前と同じようにバラエティ番組の薄っぺらな笑いに埋め尽くされる“日常”が、戻ってくるであろう。一部の大資本は、日常という歯車を一日でも早く、再稼動させたくて仕方ないのである。もちろんその歯車の末端で、生計を立てている多くの労働者が存在するのは事実だから、それも復興の一部だと言われれば反論は出来ないが、それでも何とも言えず、微妙な気持ちになる。我々の“日常”とは、一体誰のためにあるのだろうか。不謹慎だと叱られた、「津波で一度、我欲を洗い流す必要がある。」との石原都知事の言葉も、わからないではない。