龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

震災後に考えたこと 1

桜は咲けども、気は晴れない。夜にTVで地震放射能汚染の情報を見ていると、欝になりそうなので、ここ数日、深夜にユーチューブで昭和の名曲を視聴ばかりしていて少し寝不足気味である。昭和時代には、たくさんの名曲が作られている。それらの共通点は、言葉(歌詞)を、とても大切にしていることだと思う。
たとえば、フォーク・クルセダースの“あの素晴らしい愛をもう一度”では、出だしの、“命掛けてと、誓った日から”の言葉だけで、聞き手は否応なく、その歌の世界にすっと入り込んでしまう。これは本当に魔法のような言葉だと新ためて感心した。30代の頃の河島英五が、ピアノを弾きながら静かに語りかけるように歌う、阿久悠作詞の“時代おくれ”の歌詞を見て、思わず涙が出そうになる。言葉はコミュニケーションのための単なる記号ではなく、言霊が宿っていることがよくわかる。言葉はそれ自体が一つの独立した生命である。だから言葉を大切にするということは、言葉の内側に秘められた魂に対して誤魔化したりすることなく、きちんと向き合うことであるとも言える。そういう歌の言葉が、私の心の奥深い場所に侵入してそっと光りを放つ。河島英五が歌う“時代おくれ”に感動するのは、彼が言霊、すなわち言葉の核心に誠実で、嘘がなかったからであろう。あるいは正直過ぎたために、48歳という若さで亡くなったのだろうか。現在47歳の私の言葉と魂は、中空にたゆたうばかりだ。
ところで、演歌に格好よさを感じるようになると、もう年なのだろうか。昭和の名曲で、現在のところ私がナンバー1だと考えているのは、実は石川さゆりが歌う、“天城越え”である。この曲は本当に素晴らしいとしか、言いようがない。「山が燃える」のフレーズに私は心底、やられてしまった。何度、繰り返し見ても「山が燃える」の場面で、私の心は揺さぶられるようによろめいてしまう。簡単に注釈すれば、燃えているのは、山ではない。めらめらと燃え盛っているのは、本当は、女の業火である。「誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺してもいいですか。」と言わせる、女の性が激しく燃える。だが女の目には、男の肩越しに見える、天城山が赤々と燃えているように見える。まるで不動明王が背負う光背の火炎のように。ここには魂の内面風景と、外部世界との転倒がある。この詞の凄さと、石川さゆりの表現力は絶品を通り越してほとんど奇跡的な芸術であると言えよう。
それで、私はこの“天城越え”を何度も見ている内に、不思議にジャンルも時代も、国も異なるのに、ドアーズのジム・モリソンが歌う、“ハートに火をつけて”が思い出され、オーバーラップして聞こえてきた。1971年に27歳の若さで死んだジム・モリソンの偉大な才能の特質は、ロックシンガーというよりも詩人としてのものであった。詩人であるから当然に、言葉と魂を大切にする。ところが、ジム・モリソンのような天才は、言葉の力が、自らの命にすら優ってしまうがゆえに、夭折してしまう運命にあるのだろうか。ジム・モリソンは詩人として認められたかったのに、世界的に有名なロックシンガーになってしまった。詩人としての生き方にそぐわない方法で、商業主義的に都合よくシンボライズされたシンボルとしてこの世に存在し続けることに、我慢ならなかったのであろうか。結局、酒とドラッグに溺れ、世界に一瞬の強烈な閃光を残すようにして早世してしまった。ジム・モリソンはディオニソス神の使いとして、ひと時、地上に舞い降りてきたような男であった。ニーチェが説いたディオニソス的な芸術衝動とは、陶酔の中で激情と歓喜に満たされた状態であり、それはシャーマンの舞踏にも通じる狂乱と恍惚の融合だと思われるが、ジム・モリソンはジュニアハイスクールの頃よりニーチェを愛読していたようである。ドアーズの曲の詞が文学的で、芸術性が高いのは、そういうところから来ていたのであろう。
それで私はいつしか、ジム・モリソンが“ハートに火をつけて(Light My Fire)”で、Fireと叫ぶ暗く狂おしい声と“天城越え”で歌われる「山が燃える」炎の質的差異を考えていた。恐らく私はそこに、日本人特有の精神性というものを考えていたのだと思う。個人的には私は、ジム・モリソンの今にも発火しそうな危険極まりない声よりも、石川さゆりが熱唱する「山が燃える」のフレーズに心を深く引き寄せられる。その理由をあれこれと考えると、やはり私が日本人であるからという単純な事実に行き着いてしまう。破滅的な芸術性で自らの命すら焼き滅ぼす稲光のような声よりも、たとえ“虚構”であっても、地獄に突き進んでゆこうと覚悟を決めた女の声と表情に、物の哀れのごとき情感を触発させられるのは、日本人としてのアイデンティティーと深く関連があるように考えられるのだ。また、それが演歌の本質なのかも知れないと、思った。日本人にとっての日本とは、最後に回帰すべき“虚構”の心理風景のような場所ではなかろうか。愛も恋も、様々な人生の苦しみも、自分だけの問題であるように見えて、その実、日本という虚構との絡み合いの中から映し出された幻影なのかも知れない。だから、「山が燃える」のである。一切の虚構を排除して、純粋に自分の内的な認識のみで生きようとすれば、最終的に苦悩も山(対象)も共に消滅するであろうが、その時には何も燃えるものがない。生きることが、何かを燃やすことだと仮定すれば、人生の唯一の問題は何を燃やすかだ。
三島由紀夫はなぜ死んだのだろうか。七生報国などと言われても、その言葉の響き自体は尊いのかも知れないが、国の一体、何に報いるというのか。私の目に映るのは、日本というシステムとそのシステムの下で蠢く多数の人間だけである。システムのために殉ずるのは、馬鹿げているのではないのか。ならば天皇制こそが日本の本体なのか。しかし天皇制もまた日本というシステムの一部ではないのか。あるいは天皇制の下に日本のあらゆるシステムや民衆の生活が、歴史的に派生してきたと見れなくもないが、いずれにしても自らの命を投げ出してまで、証明しなければならない絶対的な価値がそこに秘められているとは私には思えない。おそらく三島は、わかっていたのだと思う。天皇陛下にも天皇制にも、国家の安泰を護持する神秘的な力など何一つ備わっていないことを。ただ三島は、詩人ではなく作家だった。だから、どこか作為的なのである。三島は日本の虚しさの本質をよくわかっていながら、天皇制と言う虚に、自らの死の虚を掛け合わせることによって、日本という名の共同幻影を鮮烈に賦活せしめ、民衆の記憶という白日の証人の下で、空虚に埋没した日本の神話を日本人の意識に復活させようとしたのではなかったか。そこに、三島なりの死の美学があったのだと思う。三島の過剰な愛国的ロジックとそれに伴う自決は、戦後の日本という虚構の中で、日本人がしっかりと自らの人生を誇りを持って生きていくために演じられた、まさに命がけの儀式だったのだと思う。たとえ人間としての天皇個人を信じていなくとも、天皇陛下万歳、と叫んで死ななければ、日本という国が消えてなくなってしまいそうな悲壮感を、三島は戦後の日本に感じていたのであろう。だからたとえ虚構であっても、日本人の精神は最終的に天皇制に帰着せざるを得ないのだということを、そうでなければ日本人は生きていけないのだということを、つまり日本には“それしかない”のだということを、三島は生命を捨てて民衆に示したのではないのか。天才の考えることの真相はよく分からないが、それが私の見解である。