龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

震災後に考えたこと 2

三島の考えはわからないでもない。しかし現実には1970年の三島の死以後、今日に及んでも尚、天皇の名のもとに日本という国を語ることは時代錯誤以外の何ものでもないままである。日本人は、全体としての精神的な拠り所を完全に喪失してしまって世俗に浮遊しているだけなのか、それとも天皇を敢えて意識しなくとも、日本人はそれなりに秩序と良心を保って生きていける民族と看做すべきなのか、私は天皇制否定論者でも右翼でもないが、現代の日本で天皇制をどのように考えるべきなのか、正直なところよくわからない。ただし今日の形骸化された天皇制のあり方や、天皇の役割には少なからず疑問を感じる時もある。作家の見沢知廉の作品に、確か『天皇ごっこ』だったと思うが、“天皇は、京都の御所にでも篭って祈祷に専念していればよい”と述べられた箇所があったように記憶しているが、基本的には私も同じような感想を持ってしまう。
憲法が規定する文言の中で、天皇制の本質が、すなわち日本人の精神性が歪められてはいないであろうか。
憲法1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
憲法3条
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
それでは今、改めて問うが、“日本国の象徴”とは一体、何だ。“日本国民統合の象徴”は、わかる。聖徳太子の“和を以って貴しとなす”ではないが、日本人がお互いに相手の立場を思いやる心を大切にするということ、そしてそういう調和の頂点に、天皇が象徴的に君臨していると考えれば、全ての日本人の心は自ずと安らぐ、というものだ。今回の東北大震災にあっても、天皇、皇后両陛下が避難所をご訪問され被災者に励ましの声を掛けられた。復興に向けての願い、被災者への労わりの心、そういう全ての日本人の気持ちが統合された象徴として、天皇が存在すると国民が受け止めることは、憲法が規定するところの文言ともよく合っているように私には思われる。もちろん、“日本国民統合の象徴”との文言が、日本人以外の排除や差別に結びつくとの、考え方もあるかも知れないが、天皇制を是とする前提においては、天皇はどこまでも“日本国民統合の象徴”でなければならないと、私は考えるものである。ところが“日本国の象徴”と言われると、はたとわからなくなるのである。よく考えれば、このはたとわからなくなる文言が憲法1条の冒頭に記されているところに、私は戦後の日本の矛盾や虚しさの中心を見るような思いがする。日本国民とは疑いなく一つの実体であるが、それでは日本国とは一体何なのかとなると、たちまち謎である。単にその時の、権力機構の総体を日本と呼ぶべきなのか。仮に極論が許されれば、今後もし、日本が戦争でアメリカやロシアなどの大国に併合されることになっても、日本という国名は消えないであろう。それではその時に天皇は、占領国側の権力機構を象徴することになるのか。言うまでもなく日本の天皇とは、有史以前の国産み神話にまで淵源するところの、天照大御神を始祖とする連綿たる系譜を特徴とする特殊な存在である。よって天皇の地位と役割は、“国政に関する機能を有しない”ものであっても、その時々の政治権力に従属すべき性質のものであってよいはずがなく、永続的かつ独立的に位置づけられるべきだと、私は考える。よって憲法の条文は、天皇を“日本国の象徴”としてではなく、“日本国歴史の象徴”とすべきである。
それではなぜ天皇が、政治に従属する存在となったのか。建前的には、明治憲法下の天皇条項が、第1条、「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」、第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていたのを、第二次世界大戦の敗戦とそれに続く日本国憲法制定の中で、主権の在り処を天皇主権から国民主権へと大きく変えられたことにより、天皇の地位は明文的に国民の代表である内閣の下に置かれることとなったことによる。しかし、よく指摘される通り、明治憲法下にあっても天皇は実質的な権力は何一つ保持していなかった。“君臨すれども統治せず”の立憲君主制であり、絶対君主制ではなかったのである。“輔弼(ホヒツ)”と言って、天皇の行為としてなされることの全責任は、国務大臣宮内大臣、軍司令部総長にあったのである。だからこそ天皇は、戦犯として処罰されることを免れたのだ。明治憲法下と現代の日本国憲法下では天皇の地位は、天と地の差の如くあるように考えている人が多いであろうが、“虚構の象徴”という意味では、ほとんど同義だと考えられる。戦争に利用されるか、平和のために君臨しているかだけの違いだけである。国民の代表である内閣の管轄下にあると言えば、聞こえは良いかも知れないが、天皇陛下が心中のお考えを自らのお言葉で、何一つ、一言一句とも述べられない現状のあり方はどうかと私には思われるのだ。天皇は政治的であってはならないとの考えは理解できるが、かと言って政治的でも有り得ないのに役人が決めた言葉でしか語り得ない天皇が君臨する国の“良心”とは、最終的には一体何であるのか。
天皇は、日本歴史の象徴である同時に、日本の良心や、日本の正義の象徴であるべきだと私は思うのだ。すなわち、歴史や良心、正義の観念こそが日本という国家そのものだからである。どうしてもそうで有り得ないというのなら、日本の天皇制は今すぐに廃すべきだ。政治と金の問題ばかりがはやし立てられる権力に下に置かれた、天皇制に一体何の値打ちがあるというのか。憲法1条と、憲法9条の文言を書き換えることが、戦後の日本の本当の第一歩である。日本人の幸福概念とは、最終的に憲法条文の言霊に帰結するのだと私は考える。
その言霊は本当に日本人によるものなのか。それ以外に何があると言うのか。