龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

何かが繰り返す

一度あることは、二度あるし、二度あることは三度ある。
人生とは、音楽のリピート再生のようなものである。尤も、良いことが延々と繰り返すのであれば、人生は幸福の楽園となるであろうが、残念ながら現世に木霊するリフレインの響きは、その人にとって悲しいことや、怨めしいことばかりである。科学的に証明できることではないし、心理学的に解明することも難しいであろうが、何故かしら人生の内の何物かが、同じことを繰り返そうとする一つの独立した強固な意志を持っているように見える。
だから人生のこの前提条件に従えば、人が生きることの意味は、ただひたすらこの繰り返しの“装置”を見つめ続ける以外にないとも言えるのである。ところがほとんどの人は、自分自身の内観修養で、目に見えないこの絡まった連鎖を解きほぐすことなどまったく考えもしない。誰かが親切心で傍からそっと指摘してあげても、指摘されたその人はまるで自分の大切な“宝物”を汚されたように烈火の如く怒りだすであろう。親子であれ、夫婦であれ、人と人とのコミュニケーションの難しさは、そういうところにあるのだと思う。宗教に入信して特別な修行などしなくとも、いかがわしいスピリチュアリズムの本をたくさん読まなくとも、一日に10分瞑想して、自分のことを自分の頭で考える習慣を身につけさえすれば人生はゆっくりとではあっても大きく変わってゆくのだと思うのだけれど、多くの人々は、特に大人たちは、あまりに忙し過ぎるのであろうか。
栃木県、鹿沼市でクレーン車を運転していた26歳の男が、登校中の小学生の列に突っ込んで6人の子供が死亡した。この男は、3年前にも小学生の男児をはねて、重症を負わせていたようである。てんかんの持病があるようだが、持病があろうとなかろうと、過去に重大な事故を引き起こしているのであれば、車の運転は出来る限り控えるように努めるのが、前科者の本分である。ところが、こういう男に限ってどういうわけか、大型クレーン車などを運転したがることとなり、この世の定めのように悲惨な事故が、繰り返された。刑務所の中では時間がいくらでもあるだろうから、この男にはしっかりと瞑想をして自分の心をよく見つめて欲しいものだ。しかしたとえ男が更正して生まれ変わろうとも、失われた6人の子供たちの命は、決して戻ってこないという遣る瀬無さだけが、この世の変わらぬ現実である。最近は、子供が実母や養父に殺害されるなど本当にいやな事件ばかりである。何が繰り返されようとも、子供たちの命だけは守られなければならないというのに。
日本という国家そのものも、大きな大きな“心”であることを忘れてはならない。私は目を逸らさずに、私の心と、国の心の中心を共に見据え続けるつもりだ。