龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

女の力

韓国のキム・ヨナ選手は、偉いと私は思う。モスクワで行われていた、先日の世界フィギュアスケート選手権安藤美姫に逆転されて2位になったが、東日本大震災で被災した子供たちを支援するために、大会賞金の全額、約220万円をユニセフに寄付すると報じられた。
「自分のことよりも日本の(被災者の)ことを考えて滑った。」とコメントした、安藤美姫に対する、あてつけのように取れなくもないが、そのぐらいの気性の激しさがなければ、世界のトップアスリートにはなれないのであろう。また、キム・ヨナは小さな頃より裕福ではない家庭で、苦労しながらスケートを続けてきた、とのことである。今回の震災で家や親を失った日本の子供たちを思いやる心の優しさもキム・ヨナは持っているのだと思う。もちろん優勝した安藤美姫を悪く言うつもりは毛頭ない。「自分のことよりも、日本のことを考えた」などとは、アスリートなら誰もが簡単に口にしそうなコメントであるゆえに、本気で心の底から思っていなければ、なかなか口にしにくい言葉である。
恐らく安藤美姫は、大人になったのだと思う。3、4年ほど前に、私がTVで見始めたころの安藤美姫は、成績の不振を怪我を理由に言い訳ばかりしていたような印象が強い。それが、ちょっと見ない間にいつの間にか大人の女に変身していて、目を瞠る演技をするようにグレードアップしていた。人は見かけによらないと言えば失礼かも知れないが、当初は素人目ながら、安藤美姫がこれほど伸び代のある選手だとは思えなかった。何となく、わがままそうな性格が演技の妨げになっているのではないかと感じられる選手だったのに、今では成長したという生易しいものではなくて、どこか化けてしまっている。果たしてコーチの腕が良いのか、コーチと出来ているのか知らないが、安藤美姫には女の力の恐ろしさを感じる。ただし総合力では、私はまだキム・ヨナの方が、安藤美姫よりも上だと思う。キム・ヨナのスケーティングには、その核に力強さが感じられる。力強さと美しさが調和している。キム・ヨナの強さは、彼女が決して口にしないまでも、やはり背負っているものの大きさにあるのではないであろうか。キム・ヨナは韓国という国そのものを背負っているのだ。韓国の対外的なブランド・イメージを高め、世界的に韓国が先進国入りしてゆくポテンシャルの高さをアピールするために、トップアスリートとして絶対に負けられない立場にあるのであろう。日本を代表して、全国民の声援を受けていても、自分のためだけに滑ることが許される日本の選手と、韓国選手との間には、まだ大きな隔たりがあるのだと思われる。それが、今回の安藤美姫は自分のことよりも日本のことを考えて滑ったがゆえに、無意識にであれ普遍的な全体性の領域に入り込んでしまって、妙なる強さを獲得してしまったように見える。キム・ヨナは自分が背負っているものの大きさゆえに、本能的にそういうことが、要するに自分が負けた理由がよく見えるのだと思う。だからこそキム・ヨナは、表彰台の上で、悔しさのあまり涙を流したのだと思う。しかし、キム・ヨナはやはり只者ではなかった。その数日後に、日本の被災した子供たちに賞金を寄付すると発表した。彼女なりの方法で、日本の全体性に挑戦しようとしているのだ。キム・ヨナの日本の弱者に向けた善行は、彼女の演技がもう一皮剥けて、表現力を高めることにつながってゆくことであろう。今後のフィギュアスケートにおける女たちの熾烈な戦いからは目が離せない。私は日本人だから当然、安藤美姫を応援し続けるが、国際大会でキム・ヨナに勝ち続けることはおそらく難しいであろうと思う。浅田真央については、何となく演技に迷いが感じられて精彩に欠けていた。内面の彼女の迷いの声が今にも、聞こえてきそうで、どこか痛々しい気配があったように見えた。浅田真央もまた、もう一皮剥けなければならないのかも知れない。だけどその方法が分からないのかも知れない。
芸術上の表現者にとって、一皮むけることが出来るかどうかは、生きるか死ぬかに匹敵するほどの重大な問題だ。女子のフィギュアスケートを見ていても、そのことがよくわかる。内面が如実に現れるからだ。