龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

スタバにて、我思う

どうでもいいことではあるが、日常生活の中で素朴な疑問というものがある。誰にでもあるとは思うが、私の素朴な疑問は、なぜスターバックスコーヒーはこれほど流行っているのであろうか、ということである。いつ見ても、満員で空席がほとんどない。こう言っては何だが、決してケチをつけるつもりはないが、喫茶店のコーヒーなどどこで飲んでも味の違いなどほとんどないと思うのである。まあ私がわからないだけかも知れないが、喫茶店のコーヒーを飲んで、コーヒー豆の等級や良し悪しがわかる人間など1%もいないのではないのか。スタバに日本の若者たちが、嬉しそうな顔で陣取っている光景を見ると、何となく不思議な気分になる。そして密かに思うのだが、スタバとは単なる喫茶店なのではなくて、今の時代における「アメリカ文化」そのものなのであろう。ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパン(息子はユニバと呼ぶ)に多くの人間が何度も引き寄せられるように、スタバも一つの文化として日本の市場を席巻しているのである。マクドナルドやアップル社のアイフォン、マッキントッシュと同様に、一部のアメリカ企業は、商売上手というべきなのか、とてつもなく強力な集客力や浸透性を日本やそれ以外の国々に対して発揮している。それらの中で新参者の新しい顔が、スタバということになるのであろう。だからどうだということもないのだけれど、私の中学2年生になる息子も含めて、日本の若者たちがそのような日本国内のアメリカ文化に取り巻かれて、それなりに幸福そうな顔をしているのであれば、それはそれで文句を付けることもないであろう。しかし一方において、言うまでもないことだが、アメリカとは「陰謀論」を持ち出すまでもなく非常に恐ろしい国でもある。その国家としての恐ろしさや非情を包み隠すためにこそ、一見、華やかで夢と愛に満ちたアメリカのグローバル文化があるとも見れるものである。言い換えれば、アメリカの軍事力は、そのようなアメリカ発の資本主義文化やそれらの文化に取り囲まれて大衆が何となく感ずる幸福感という幻想を守るためにこそ存在しているのである。よって今日、集団的自衛権の容認や憲法改正の必要性が問われている状況下において、我々、日本人は日常生活の中においても、国内のアメリカ文化というものに無思考で埋没しているだけでなく、時には冷めた目で見ることも必要なのではないかと思うのである。ところが今では、日本の政治家ですら、世襲議員が多いせいなのか、アメリカという国家を日本と分離して相対的に捉えることが出来ないでいるように危惧されるものである。幻想を維持し続けるには、時には幻想から離れることも必要なのである。先日の日曜日に、そういうことを私はスタバのコーヒーを飲みながら、一人ぼんやりと考えていたのであった。