龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

左翼の原理

それでは我々が今、問い直さなければならないことは、永遠の対立軸の如く常に目前に定置されている右翼と左翼の区分とは、一体何なのかということである。さあ、皆さんにもよく考えていただきたい。右翼と左翼の本質を。一般には、特に最近の傾向として「右傾化」という言葉がよく使われる。と言っても3年ほど前が、使用頻度のピークでこの頃はあまり聞かれなくなってきたが。右傾化とはあまりよいニュアンスでは使われない。「日本の右傾化が危惧される。」とか「政治の右傾化路線」などという風に使われることが多い。極端な思想的立場(国内左翼や中国、韓国)からは「戦前への回帰」と同じ意味であるとして批判されることもある。それとよく似た言葉では、「ネット右翼」、略して「ネトウ」などがある。そこには烏合の衆的な侮蔑のニュアンスがある。いずれにしても近年の日本においては、世相、世論の全体的な変化傾向として、右翼度のバロメーターで語られることが多い。右翼と近い言葉では、「保守」という言い方もある。保守とは旧来の伝統や風習を重視することである。保守の反対語は、「革新」である。革新とは、旧来の制度や慣習、考え方を新しく改めることである。よって右翼=保守であるなら、左翼=革新であるかと言えば、学生運動の盛んだった70年代はともかく、現在においては全くそうではない。それでは今日的な左翼とは何なのか、実は右翼よりも左翼の方が、その正体が分かり難いと言える。そしてその分かり難さこそが、左翼が構造的に抱える問題であるようにも私には見える。今や左翼とは世の中を変えようなどとは、少なくとも本気では、これっぽっちも考えてはいないものである。変革の意思がないにも関わらず、左翼という立派な特等席(これは権威と言い換えてもよい)が、右翼席の反対側にいつまでも設え続けられている。なくてはならない一端であると看做されている。それは一体、どういう理由においてであろうか。左翼とは別の言い方をすれば、「リベラル」である。リベラルの方が革新よりも、左翼の実像に近い。「リベラルを自認する」などという風に使われる。リベラルとは何かと言えば、個人の自由や個性を重んずる自由主義のことである。しかしこれもよく考えれば、少しおかしいところがあって、何かと言えば、今や右翼であっても個人の自由や個性を否定している訳ではない。日本全体が自由主義に染まっているとも見れる。ならば左翼を特徴づけるリベラルとは何かと考えるに、自由主義ではなくてより正確な定義を試みれば、それは「反国家主義」ということになる。そうすると右翼は国家主義で、左翼は反国家主義ということで、当たり前のことではないかと思われるかも知れないが、そんな単純な話しでもない。なぜなら左翼と言えども無政府主義者でない限り、何が何でも国家の存在やその機構を否定する思想ではない。リベラルの反国家主義とは、朝日新聞毎日新聞流の言い方をすれば、権力の暴走を監視し、独裁国家にならないように統制される民主主義体制であるとされる。それはそれで重要なことである。そこで思考が止まってしまうのであれば、めでたくも左翼は素晴らしいという立場、スタンスに落ち着いてしまうのかも知れない。しかし日本の左翼とは、純粋に国内の権力に対峙するところの独立した思想性を持っているというわけではない。右翼は、簡単に言えば日本という国が良い国になることを純粋に望んでいる。しかしその純粋性は、極端で狭小な国家主義、たとえば排他主義などに流れる危険性を孕んでいるとして思想的に否定されたり、コントロールされる傾向にある。左翼の思想や行動原理がそのような右翼の国家主義全体主義に、或いは国家権力に純粋に対峙するものであるならば、日本の民主主義は放っておいても成熟し、その時代に適合した均衡点で止揚するものであろう。ところが日本の左翼原理とは必ずしもそうではないのだ。それは朝日新聞毎日新聞、またそれら系列TV局の報道番組を見ていればわかるはずだ。日本の国内権力に対峙するというよりも、韓国の反日活動、対日干渉に寄り添い、迎合する性質のものであると言える。つまり反権力ではなくて、左翼の声とは「外圧」そのものを意味することとなっているのである。ここに日本の左翼の歪みがある。国内における右翼と左翼の対立軸ではなくて、右翼対外圧が、日本型民主主義の基本形のようになってしまっている。朝日新聞毎日新聞は信念とか正義というよりも(見掛けは当然、そのように装っているが)、実質的には、韓国の声を代弁しているだけのものであることが多い。慰安婦報道などがその典型である。そしてその歪んだバランスこそが、韓国や中国の言う「戦後秩序」の正体である。戦後の日本の民主主義とは、実は日本国内の言論ではなくて、外部からコントロールされたものであるところにその本質があるもののである。そして朝日新聞毎日新聞は、日本のメディアでありながら韓国の代弁者になることによって、一つの安定した地位を確保し得ているものである。戦後秩序というものをよく考察しなければ、日本の言論や民主主義の歪みが見えてはこない。それではどうして日本の左翼は、国内の内情を無視してまで韓国に迎合しなければならないのか。それは必ずしも日本と韓国だけの問題ではない。その背後には、言うまでもなくアメリカという国家の存在がある。アメリカは、表面的には日本が韓国と政治的に対立したり、対話や交流が途絶えることをアジア地域全体の不安定化の要因になるとして深く憂慮するポーズを見せてはいる。しかしそれが本心かといえば疑わしいものである。アメリカにとっての最悪のシナリオとは実は、日本が韓国と結託して両国家が共に反米になるということなのである。そこに中国が加われば、尚、恐ろしい事態となる。もちろんそうなるような可能性は現在のところ、まったく考えられないものだ。しかし将来はどうなるかわからないものとして、アメリカはある意味ではしっかりしている国家であるから、徹底したリスク管理が図られているものである。地理的には日本と韓国や中国は近接しているので、どのような状況から反米のアジア連合が誕生するかわからないという不安が、アメリカの政治には常在している。それゆえに日本と韓国の対立、反目は、実はアメリカにとって何よりも必要な状況でもある。日本と韓国が共にアメリカへの依存から離れられないように、そして反米にならないようにコントロールされる上においては、日本と韓国がある程度の憎悪と嫌悪を持ち合っている関係が望ましいとされるであろう。これがいわゆる、アメリカの分断統治手法というものである。そして実は韓国は、アメリカのその思惑をよく理解している。(日本の政治も理解はしているのであろうが。)韓国は理解した上で、日本に対する批判を世界中で展開させているのである。それが少しやり過ぎのところもあるので時には、アメリカを苛立たせたりもする。また韓国は、アメリカの分断統治をわかった上で、中国に接近するというきわどい政治的なパワーゲームも最近では行っているものである。その理由はおそらくは内政的に、いろいろな面で余裕がなくなってきているからであろうと考えられる。とにかく韓国の戦略は日本を批判し続け、アメリカの分断統治の恩恵に与ると共に、中国にも接近して自国の存在感を増大させるところにある。日本の政治は、現時点では半ば傍観しているといったところだ。私はそれでよいのだと思う。韓国のような愚かな国は無視していればよいのである。それで日本のメディアの問題だが、そういう戦後秩序の全体的な状況の中で、左翼の本質とは(ここが最も重要な部分なのでよく考えていただきたいところだが)、韓国同様に、戦後秩序を守り続けて、その恩恵に未来永劫に亘って与ろうと意図する原理なのである。だからこそ憲法改正にも反対しているのであって、戦争とか防衛といった問題も当然重要だが、「戦後秩序」の意味はそれらと根本的に少し異なるものである。そういう微妙なところが理解できるかどうかだ。分断統治などと言うと、アメリカの陰謀論のように聞こえるかも知れないが、日本の言論活動は基本的には自由なのである。アメリカが事細かに指図したり、編集を命じたり、検閲しているものでないことは明らかである。そういう風に思えてしまうということ自体も、日本の思考停止の一つの兆候なのであって、つまり何と言うのか、日本の言論、特に左翼は未だに奴隷(被支配)根性から抜け出せていないということに尽きるのだと考えられる。ご主人様よりも奴隷の身分の方が、精神的には楽なのだ。分け前もいただけるということなら尚更である。お分かりであろうか。ほとんどの人には分からないのであろうな。まあ、ご自由に。