龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

橋下氏の発想

相変わらず橋下氏は口が軽いな。どうもこの人は、政治家に向いていないのではないかと思える時が多い。ヘイトスピーチの在日被害者が人権被害の慰謝料請求を求める裁判を起こしやすくするために、税金で訴訟費用を全額負担する制度の創設を目指す意向を表明し、「バンバン訴えてもらえれば」と言ったようである。ヘイトスピーチ抑止のための民事的解決手段であるらしいが、いくら何でも市長が裁判を煽ってはいけないだろう。仮に民事裁判になったとしても、行政やその長は、中立の立場に立たなければならないはずである。それを端から全面的に原告側の立場に立って訴訟費用まで負担し、バンバン訴えてなどとは、無茶苦茶な発想である。裁判は差別の撤廃とは根本的に関係のないことであるし、そもそもヘイトスピーチの本質が、差別意識に根ざしたものであるかどうかも疑問の余地が大きい。それに税金で裁判費用を賄わなければならないほどの頻度で、ヘイトスピーチの活動は発生しているのか。一般的な右翼の街宣車はよく見かけるが、少なくとも私は一度もヘイトスピーチの現場を目撃したことはない。また差別や憎悪とは何の関係もないようなごく普通の抗議活動までもが、在日の人々に曲解されて、民族感情を傷つけるような主張内容だとヘイトスピーチの括りで裁判を提起された時に、大阪市はその全ての費用を負担すると言うのか。弁護士資格を持つ人に説明するまでもないことだが、民事裁判はどのような理由で訴えようと原告の自由ではないのか。そんな事は有り得ない、考えられないというのであれば、その根拠は一体どこにあるのか。日本と韓国という外交関係においては、嫌になるほど繰り返し、起きている状況ではないのか。それとも橋下氏自身が大阪市内で発生する全ての抗議活動の現場に立ち会って、ヘイトかどうか判断すると言うのか。韓国や朝鮮の政府が、日本にいる在日の人々に指令を発する可能性もなくはないのである。はっきり言うが、橋下氏の考えは底が浅いのである。短絡的であるとも言える。これまでもその場の思いつきで浮ついた発言をしたかと思えば、その弁解に追われたり、あっさり非を認めて訂正したり、時には慰安婦発言のように異常とも見れるような粘着質的な執念で持って反論、攻撃を繰り広げるなどの場面が見られてきたが、それら個別の主張内容を鑑みれば、確かに道理があるというか、弁は立っているが、橋下氏の政治観という全体像を通観した時には、ちょっとしんどそうな限界が感じられる。私以外にも多くの人が、恐らく私と同じようなことを感じ取っていることであろう。その辺が最近の橋下氏の頭打ちの原因になっているようにも感じられる。今回の発言内容も私には、橋下氏が過去に、光市母子殺害事件においてTVの視聴者に弁護団のやり方に不服がある人は、どんどんと懲戒請求を出せばよいと言ったこととまったく同質であると考えられる。個性と言ってしまえばそれまでだが、人間は同じことを延々と繰り返す高級な動物のようである。