龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

民主主義の出発点

朝日新聞従軍慰安婦報道を検証する第三者委員会の委員が発表された。その選任で噴飯ものは、田原総一郎氏が入れられていることである。検証という作業は、朝日新聞の思想や主張を後押ししたり裏書させるために行われるものではないであろうに。朝日新聞は田原氏に客観的な公平、中立性があると考えているのであろうか。検証するということは基本的には、「批判的に」検証するものであって、擁護したり好意的に解釈したり、朝日新聞を批判する勢力を批判する姿勢は検証とは言わない。世間一般にあっても田原氏という人物が、朝日新聞を検証するに相応しいとどれほどの割合で考えられているものであろうか。
田原氏以外にも、ノンフィクション作家の保阪正康氏なども朝日新聞寄りと思われる。これでは第三者委員会選任を検証する第三者委員会が必要ということになるであろう。いずれにせよ端からわかっていたことではあるが、朝日新聞が中心になって自社の報道を客観的に検証したり、見直したりできる訳がないものである。茶番というかお手盛りの会合にしかならないことは目に見えているものであり、それ自体が国民や読者を馬鹿にした朝日新聞的体質を如実に表した内容のものとなることであろう。特に私は個人的には、田原総一郎という人物には大所高所から物を言って欲しくはないし、またその資質もないと思われる。ああいうタイプの人間の根底にあるものこそ、左翼的コマーシャリズムであって、正義とか倫理とは本質的には何の関係もないものである。
さて安倍総理は、河野談話の見直しはしないとはっきりと明言しているようである。安倍総理がそう言っているのであれば、つまりそれが今の日本の限界であるということでしかない。ここのところは我々国民はしっかりと見極める目が必要であろう。はっきりと言えば、政治に期待しても無理だということだ。日本の政治は、一点突破で国際政治のバランスを突き崩してゆくことは到底できないということである。最終的にはむにゃむにゃと言って、矛を納めざるを得ない結末となる。要するに外交問題にはしないということで、結局は朝日新聞の報道問題も含めて内政問題でしかないということとなる。
しかしである。力説したいことは、ここからだということだ。ここで諦めてはいけないのである。本当の民主主義はこの地点から始まるのだ。政治の無力とマスコミのごまかしなどは好きにさせておけばよいのである。しかし我々国民の認識や見識はそれらのレベルとは、まったく無関係とはいわないまでも独立して存在し得るということを思い致すことが重要である。政治やマスコミは日韓関係は重要で、韓国とは友好関係と保たなければならないと言い続けるが、その具体的な根拠は何ら明示されることはない。隣国だから仲が悪いよりも良いにこしたことはないというような、子供騙しの理屈だけである。政治やマスコミが思考放棄しているのであれば、我々一般国民が代わりによく考えなければならない。日韓関係の本質とは何なのか。どうして日本は韓国を切り捨てることができないのか。切り捨てられない理由があるなら、それは一体何なのか。いつまでも、どこまでも日韓関係を改善しようと努める日本の外交姿勢は、本当に日本の国益に適ったものと言えるのであろうか。そもそも韓国という国は、日本がそこまで重視しなければならない価値や品格を有しているであろうか。さあ皆さん、よく考えていただきたい。政治やマスコミが見せるお手盛りの正義と倫理に惑わされてはならない。