龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

謀略と不正の階層性

政治と金の問題について我々は、どのように考えるべきなのだろうか。TVニュースや新聞で厳しく断罪されるところの報道内容とは別に、これは微妙なところのある問題だと思われる。たとえば分かりやすく比較すると、私は祖父の代からの家業である会社を経営している。小さな会社なので個人と会社を混同して、会社の金を生活に流用させようと思えばいくらでも出来る。しかし今のような不景気な時代にそのようないい加減な経理をやっていれば、たちまちにして会社の経営が行き詰まってしまって、仕入れの金や消費税などが支払えなくなってしまうことは目に見えているので、そのようなことは決してしない。会社があっての生活だから、生活レベルよりも会社の安定を重視することは当然である。よって私は個人と会社の金は厳密に区分している。会社から支給されている給料以外は、雑多な生活費を会社の経費で落としたりはしない。
ところが政治家の金の使い方はどうかと見れば、問題となった小渕優子議員などを見ても分かるとおり政治資金と生活の金がほとんど混同されている。これは小渕議員だけではないと思われる。本来は政治活動に使われる金と、プライベートの金はきちんと区分して管理されなければならない。政党助成金などの政治活動費とは別に、政治家には給料やボーナスまでもが支給されているのだから当然のことである。しかし政治活動に使われる用途は法律で制限されている訳ではないから、実際にはどのような内容の支出であっても領収書をもらって政治活動費として記帳し、報告さえしていれば、少なくとも形式上は問題とはならないものである。摘出して暴露され、問題視される時に問題となるだけのことなのである。それではどうして政治家が公的な政治資金と私的な個人の金を混同させるかと考えるに、もちろんその経済的な利益は当然のことであるが、政治家は私のように会社などの守るべき対象を持っていないからだと思われる。政治家もある意味では個人事業主のようなものである。個人事業主ではあるが会社を通して利益を得ているのではなく、公務員として給与や活動費が支給されている。政治家とはその身分で個人事業を営んでいる存在である。選挙で当選した時点から、政治家としての身分が保証され、政治家としての振る舞いや考え方が要求されるが、具体的に何の政治活動をしたか、しなかったかということはほとんど問われない。極端に言えば、何の活動もしていなくとも選挙に当選さえすれば、その身分がすなわち政治行為のようなものなのである。よって政治家としての身分は活動内容に関わらず、寝ても覚めても一定のものだから、公と私を明確に区別する動機とか必要性が、政治家には基本的には薄いということがあると考えられる。また現実問題として、政治家という人種の日常はどこまでが公で、どこからが私か明瞭に線引きすることが難しいのではないかとも想像される。よって小渕優子議員のようにベビー用品とかコンビニで買った生活用品など全てが政治資金から流用されることとなる。しかし敢えて言えば、政治家の不正の擁護をするようなことは言いたくはないが、それはそれで仕方ないのではないのか。会社であれば年に一度の決算があってその内容によって経営の善し悪しが総括されるが、政治家という個人事業の総括は選挙でしかないのである。もちろんそうは言っても、どんな金の使い方をしても許されるというものではないが、特に企業献金などの入ってくる方の金の賄賂性や政治資金規制法上のチェックは重要であるとは言えるであろうが、重箱の隅をつつくような支出の細かな公私混同を暴き出して、責め立てることが果たして最終的に国益に結びついてゆくものだろうか。異論、反対意見も多いであろうが、私は全人格的に評価されるのが政治家の仕事であるから、政治資金の多少の公私混同は、その政治的な効用の可能性であるとか、その政治家の手腕や実績、品性などの総合的なバランスの兼合いの中で柔軟に判断されるべきであり、実質的な審判の場は、やはり選挙でしかありえないということになるのだと思う。いずれにせよ政治には莫大な金が我々の税金から賄われているのである。不正の摘出と情報公開が重要であることは言うまでもないことだが、我々国民は政治資金が適正に使われ、処理されることよりも、より一層効果的に国益が図られるように利用されることを望んでいるものである。高度成長時代の田中角栄のような金にまかせたどんぶり勘定の政治に戻せとまでは言わないが、あまりに潔癖すぎたり、細かすぎるのも考えものである。なぜなら結局、そこにある構図とは、政治が外部的にコントロールされているところの独立性の欠如を意味するものでしかないからである。SMバーでの支出とか、もちろんそういう金の使い方は問題であるが、膨大な政治資金収支報告書の中から一体誰がそのような項目を見つけ出してきているのか。偶然、発見されるようなものでは有り得ないし、今のタイミングでたまたま見つけ出された情報でもない。今に始まったことではないが、このようなネタは何らかの組織が、どこかからの指示で調査させて発掘し、手持ちのカードとして保存されていたものが、何かを国民の目から隠したり、政治やマスコミの動きを操作するために利用されているものである。そうとしか考えられないではないか。日本の民主政治とは、巧妙に仕組まれ、演じられている傀儡舞台である。こういうことは非常に巧妙ではあるが、基本的にはワンパターンだからよく見て、よく考えていれば誰にでもわかることである。表層に惑わされてはならない。その根底をよく見て、どういう仕組みの出来事になっているのか見極まる強固な意志が必要である。
何者かの謀略的な筋書きで、政治と金の問題は突如として噴出するのである。まるで不可解な地震や台風、大雨が何度も日本を襲うようにである。非人道的な暗雲が、日本の政治や報道に重々しく立ち込めている。