龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

在特会を批判する橋下氏の問題

大阪市長、橋下氏と在特会会長桜井誠氏の意見交換というか単なる喧嘩を動画で見た。こういうのは一概にパフォーマンスとは決めつけられないが、客観的、公平に動機の不純度という点から見ると、橋下氏の方に軍配が上がるように見える。在特会の肩を持つつもりはないが、この面談に限って言えば、桜井氏は今や世界中から許すべからず差別主義者の大悪人のレッテルが貼られている人物であって、当然、本人はそのことも、その評価が覆らないことも深く自覚しているであろうから、このように多くの記者に囲まれて公的に政治家と対談するような場にのこのこと出てくること自体には何のメリットもないものである。敢えて言えば、桜井氏の最新の著書である『大嫌韓時代』を持参してきていたので、その宣伝はしたかったのかも知れないが、その程度のことである。可愛いものだと言えなくもない。それでは橋下氏の方は、何の目的や思惑でこのような「悪人」との対談の場をセッティングさせたのであろうか。そのことで自分の政治家としての株や注目度が上がると見越した向きはなかったであろうか。市民も馬鹿ではない。これでは橋下氏の方に批判が集中して当然である。
橋下氏という人物の精神構造は元々、エスタブリッシュメント志向が極めて強いものと見れる。エリート意識が根底にあるのだ。エリート意識が必ずしも悪いとは言わないが、橋下氏の言動は全て、そのようなエスタブリッシュメント志向やエリート意識の延長か反動にあることを我々市民はよく理解する必要がある。たとえば橋下氏は桜井氏に対して、だったらお前が政治家になればよいではないか、次の選挙で立候補して見ろよというようなことを盛んに言っていたが、どうであろうか。これは自分はしかるべき正当な手続きを経て権力を掌握している統治者であって、桜井氏のようにネットで降って湧いたように出てきた人間よりも格上であるという意識の現れであるように感じられる。確かに日本は法治国家の民主主義体制であるから、手続きや社会的なシステムは重要であり、決して無視できないものである。しかし社会や国の中身が変わる時というものは、リビアやエジプトの民主化運動でもそうであったが、既成の統治機構の手続きを経て行儀よく段階を踏んで変化してゆくというものではない。ある時に火山の噴火のように、突発的かつ暴力的に既成の権威や秩序が崩壊させられて新しく生まれ変わる流れとなってゆくものである。根幹の部分では民主的なプロセスを経ても何一つ変わり得ない現実があるゆえに、ある瞬間にマグマとなって噴出してくる声とは、政治家やマスコミの御託宣ではなくて、民衆の草の根的な大いなる怒りである。その大いなる怒りの前では、弁護士や政治家としてのつまらないエリート意識など何の意味も持ち得ないものである。もちろんだからと言って、暴力や差別を肯定するものではないが、そういう草の根的な市民の声や怒りを見下して、だったらお前が政治家になればよいという態度では、その政治家としての資質の方にこそ問題が大きい。
それから基本的なことであるが、政治とは何かと言えば社会の表層に現れる問題の構造に対して責任を持つことではないのか。橋下氏は桜井氏に対して、弱者(在日の人々)を攻撃せずに、強者(国会議員)に主張せよとも言っていたが、確かにその通りであるが、その程度のことは中学生の生徒会長が言うレベルである。政治家が中学生のように当たり前すぎる正義や道徳を言ってはいけないという法律はないが、またそれはそれで新鮮にも聞こえるが、そういう水戸黄門大岡裁きのような真似をする場を自ら作って恥ずかしくないのであろうか。その感覚が私には理解できない。いかにもバラエティー的な政治感性である。何で在特会という市民団体に一定の支持が集まるのか、理由は単純である。政治が決して言わないような、言えないようなことを堂々と声高に主張しているからである。差別は問題であるが、問題の本質は差別ではない。政治が言えないことを在特会が代わりに言ってくれるからこそ、多くの人間が在特会に寄付したり、その著書を買うのである。また在特会にしてもその多くの支持者の期待に応えるために、抗議デモの内容が過激化したり先鋭化することになる。需要があって成り立っているのだから、政治や資本主義の論理と同じである。つまり問題は、そういう在特会のような存在を生み出さざるを得ない日本の政治の方にこそあると見れる。大岡裁きのように在特会の不道徳を断罪する前に橋下氏は政治家として成すべきことがあるのではないのか。たとえば韓国は日本の言論を封殺するために、産経新聞の前ソウル支局長を在宅起訴して、韓国から出国できない状態になされている。このような歴然とした人権侵害に対し、口でもごもごと批判することぐらいは政治家でなくとも誰でも出来ることである。自らのエスタブリッシュメントを証明したいのであれば、桜井氏のような小物を相手にせずに、正々堂々と国政政党の代表者として、韓国への具体的な対抗措置を政権に提言すべきではないのか。他国の不当で非人道的な干渉や決定で自国の国益や名誉が損なわれたり、国民の人権が貶められた時には、報復的に対抗措置を講ずることが、国際社会の常識ではないのか。それが橋下氏にとっては、桜井氏という一個人の弱者などではなく、韓国という強者に立ち向き合うべき政治姿勢であることぐらいは、ぜひ理解していただきたいものである。