龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

夢の不思議

稀にではあるが、時々自分は天才ではないかと思うような夢を見る事がある。ものすごくリアリティーのある内容であったり、まるで映画のように臨場感があって、夢の中で夢を鑑賞している自分がいる。それでその夢の中で会話される話というものが、いつも目覚めた直後に思うのだが、どう考えても自分の内部から生み出されたものではあり得ないようなものなのである。まあ夢とはそういうものなのかも知れないが、「会話」とは他者となすものであって、自分で自分自身の精神とコンタクトすることは、会話ではなく「独白」の性質を帯びるはずである。しかし私が稀に見る夢で交わされている言葉は、独白ではなくれっきとした「他者」との会話なのだ。果たしてこの自分の内部の他者や他者性は一体どこから出現するのであろうか。それでは具体的にどのような会話がなされているかということであるが、残念ながら夢の一般的な性質として、目覚めて数時間経つと綺麗に忘却してしまう。内容は思い出せなくても、その生々しいような夢のリアリティーだけはその後もしばらくの間、残っていることが多い。それで思うのだが、霊的な話しを全て受け入れるものではないが、ルドルフ・シュタイナーの著書にも書かれていたように、人間は寝ている間に霊魂か霊魂の一部が肉体を離脱して別の次元に移転されているのではなかろうか。よくはわからないが、そういう風に考えた方が自然だと思えるような夢を見る事があるということである。私は天才でも分裂病者でもないので、自分の内部の他者を体験するとそのように考えでもしないと納まりが悪いと言うか、心理的な決着がつかないのである。
昨夜はこのような夢を見た。これは会話内容ではなくて、発想なりアイデアがどう考えても「自分のもの」ではあり得ないのである。携帯電話についてのことなのだが、未来のことか何かよくわからないが、とにかく携帯電話はもうNTTドコモとかソフトバンクのような通信会社を経由するものではなくなっていて、一台一台の端末がそれぞれ通信基地になっているのである。それで端末機が自分で勝手に選択した世界中の仲間の端末機と常時つながっていて、膨大な情報を収集しながら、その情報を元に分析したり思考を進めて、まるで生き物のような独自の個性を備えるまでに進化しているのである。そして携帯電話がオーナーである持ち主に対して、これをしろ、あれをしろと命令しているのだ。携帯電話とオーナーである人間の主従関係が完全に逆転してしまっているのだ。
どうです、中々面白い話しでしょう。しかし私はこのようなSFめいた夢を見る覚えがないというか、普段の生活の中でそのようなことを夢想したり、考えたようなことは一度もないのである。なにせ私は未だにスマホすら持っていないし、旧式の携帯でメールを打つことすらないぐらいなのである。よって携帯の進化になど何の興味もないはずである。どうしてこのような夢を見るのか不思議である。しかしよくよく考えると思い当たる節が無い訳でもない。どういうことかと言えば、確かに私は普段から、歩きながらや自転車に乗りながらスマホ画面に熱心に見入っている人を見ると、携帯電話に使われているように内心、感じていたのであった。よってそのような日常の感想が夢という無意識世界の中で発展したと考えれば別に不思議でも何でもない。その夢の内容は正に私のものであって、他者性はどこにも存在しないということである。ということは私の霊魂はルドルフ・シュタイナーが言うように寝ている間に別の時空間を彷徨っていた訳ではなさそうである。即物的に布団の中で横たわっていただけのことである。うーん、何と言うべきか、現実と神秘、自己と他者の境界は中々に微妙である。