龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

マスコミ道徳の弊害

やはり深夜に街中を放浪する中学生は家庭に問題があると言わざるを得ない。本当は敢えて言うまでもないほど当たり前の事なのだけれど。それを少年、少女のひと夏の冒険みたいに、美化とは言えないまでも、うまく取り繕って表現することが基本的なマスコミの性質というか、マスコミ道徳の正体なのである。このマスコミ道徳なるものが中々に厄介な代物であり、始末に負えないところが大きい。なぜなら当人や当局は、善意と良心に満ち溢れた境地から発しているつもりの言葉であり、また実際にその通りなのであろうが、その実態はことの真相や本質を外部から見えないように覆い隠しているだけであって、根本的な解決とか解明から遠ざけてしまうような作用を有しているものである。よって、もちろんマスコミが諸悪の根源ではないにせよ、我々の社会は延々と同じような事件や悲劇が繰り返されることとなるものである。そしてその度に花を手向けるが如くマスコミ道徳の言葉が捧げられるのであるが、社会の土壌や構造は何一つとして進歩も改善も為されてはいないままである。もちろん日本人や日本社会の特性として、露骨に洗いざらい犯人や容疑者でもない関係者のプライバシーの有り方を問題視して世間の批判を集める方向性で公にすることは、週刊誌やスポーツ紙の記事はともかくも、権威的なマスコミや一般的な市民からさえも興味本位で品位の劣る行為であると看做され、忌避される傾向はある。何でもかんでも、ぶちまけるように明らかにすればよいというものでもないであろう。それは認める。しかし公共性や公益の観点から考えた場合、ちょっとした不祥事や不始末であればまだしも、何の罪もない二人の子供が残忍に殺されているのである。日本以外の先進国であるならば事の重大性を考慮して、もう少し踏み込んだ領域で、事の善悪や是非が論ぜられることになるのではないかと私は思うのだがいかがであろうか。日本のマスコミ道徳の問題は、子供が殺されることと同程度に深刻であり、根深い闇を孕んでいるように私には感じられる。なぜなら政治と微妙にいびつに深く結びついていて、内実的には日本の統治そのものと化しているからである。本当は右翼も左翼もないのである。右翼とか左翼などという二項対立は、実は作られた民主主義であって、本当の民主主義からは遠くかけ離れたものなのだ。その歴史的背景や要因を述べると長くなり、本題から逸れるので別の機会にさせていただくが、そういうことなのである。しかし現実的な問題として日本からマスコミ道徳を排除できるかと言えば不可能である。なぜならば日本のマスコミは政治機能と共に日本という身体の臓器そのものであるからだ。つまりは取り出して、打ち捨てるという訳にはいかないということだ。たとえ癌細胞に黒々と侵されているにしても、いやそのように不健全、不健康であるゆえに無視することすら困難なのである。哀れな大衆は洗脳されて生きていく以外に道はない。ならば我々は全くの無力な存在かといえば必ずしもそういうことではなくて、主体的に生きていく選択肢は有り得る。それは道徳とか倫理という観点から言えば、マスコミ道徳を市民が市民の眼で補完するということである。これはそれなりに有効な方法である。なぜなら先程にも言ったとおり、マスコミは内実的には政治と深くつながっているので、市民がマスコミ道徳を包囲するように補完する立場というか地位を得ることが出来れば、自ずと政治も変わってゆかざるを得なくなるからである。マスコミに洗脳、操作されるのではなく、市民がマスコミを洗脳、操作するのである。そのためには言うまでもなく市民の側にそれなりの知性とか良心や品位という資質が必要になってくる。同じ目線ではだめなのだ。マスコミや政治よりも上手、上位に立たなければならない。同じ目線では必ず操作される。分かりやすく言えば、下らないお笑い番組やバラエティーを見てヘラヘラ笑っているだけでは、日本の統治システムに変容をもたらすことは、数百万人の頭数と数百年の寿命があったとしても不可能であろうということだ。市民が同じレベルでマスコミをいつまでも放置しておけば、マスコミ道徳は政治と複雑怪奇な化学反応を引き起こして有毒ガスを発散し、日本社会はとんでもない状態に病み衰えることとなる。もう既にそうなっているが。
今回の事件に話しを戻せば、本来であれば子供にとって家庭はもっとも居心地が良くて安心できる場所であるはずであるのに、平田さんと星野くんにとってはそうでなかったということである。それが彼らが遭遇した不幸の出発点であったことは否定できない。どうも星野くんは母子家庭で、平田さんの家は父親もいるようであるが、私が見るところ平田さんの方が星野くんよりも家にいることの居心地が悪かったようであり、以前にも何度か深夜に放浪していて母親や学校の担任の先生から注意を受けていたとのことである。しかし前にも述べたことだが13歳の女の子が、簡易テントを買ってまで野宿しようとすることは尋常ではなくて、常識的に考えれば好き好んでやっているのではなくて、家にいたくない何らかの理由があったはずである。今となっては亡くなってしまっているので、その理由を本人から聞いてあげられないことが悲しいが、本当は周りの大人がそういうところに気づいて詳しく話しを聞いてあげなければならなかったはずである。もちろん他人の家庭の内情に立ち入るのは藪蛇になりかねないことなので誰しも気が重いことではあるが。星野くんは心の優しい少年であったのでそのような平田さんに付き合ってあげていて事件に遭遇することになったように見える。星野くんは事件当日の深夜も一人で家に帰ることもできたのに(また本当はそうしたかったのだと思う)、恐く平田さん一人を残して帰ることができなかったのだ。星野くんが同級生の女の子にLINEで連絡を取って泊めてもらえるように懇願して頼んでいたのも、平田さんのためにしていたことではないかと思うと本当に悲しくて涙がでそうになる。もう二度とこのような可哀想な事件を繰り返さないために、政治やマスコミではなく我々市民の一人一人が自立して考えていかなければならない。それがすなわち日本という国家の成熟なのである。