龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

中学生の深夜徘徊は普通ではない。

昨日の読売新聞、夕刊に“深夜の街に「普通の子」”との見出しで、夜通し出歩く少年少女は、近年では不良ではなく「普通の子」が目立ってきているとの記事を掲載した。その背景には携帯電話の普及により、親が子に携帯を持たせていることによる「つながっている安心感」があるからだということである。またご丁寧にも、今回の被害者である平田さんの顔を知っている中学3年の五人の女子生徒が、京阪寝屋川市駅付近で夏休み中のほぼ毎日、友人と深夜に集まって朝まで過ごしていることと、そのことについて危ないと思ったことなどないと話していることや、平田さんや星野くんと同じ中学に通う娘を持つ30歳代の母親が、「子供にはスマホを持たせていて、すぐに連絡が取れるので夜間に出歩くことを止めたことはない」と打ち明けたとの取材(?)内容まで紹介している。要するにこの記事が言外に何が言いたいのかと言えば、平田さんと星野くんが夜通しうろついていたこと自体は、今の時代においては決して特異なことではなくごく普通のことであり、被害に遭ったことは運が悪かっただけである。今後の課題とすれば、このように「犯罪に巻き込まれる恐れ」がある訳だから、アメリカの一部の州で実施されているように、子供だけの夜間外出を禁止したり、補導された子供の親に罰金刑を科すルール制定を検討する余地はあると一応は付け加えているものの、今回の事件に関しては平田さんと星野くんの親(母親)には責任がないか、或いは決してあるとは言えないというニュアンスである。さて皆さんはどのようにお感じになられるであろうか。私はこの記事は問題が大きいと思う。国民は誰も、くだらない新聞記事の論調のように批判すること自体が目的で、批判することによって自らのプレゼンスを高めようとして平田さんや星野くんの親の責任に言及している者はいない。何の罪もないいたいけな二人の子供が残虐に殺された結果に対して、近視眼的に容疑者の悪を糾弾するだけではなくて、一歩引いた地点から遠景的に事件に関連するそれぞれの立場の人間の責任を明確化していかないことには、このような悲惨な事件は今後とも根絶できないのではないかとの不安からである。新聞社は一体何の権限があってこのようなペテン的な文章で曖昧にごまかして済ませようとするのであろうか。国民を馬鹿にしているのと同じではないのか。
先ず事実関係から言って、私自身中学生の子供を持つ身の日常感覚から自信を持って断言できるが、中学生の「普通の子」が深夜の街を夜通し出歩くことが増えたり、目立ってきているような兆候はない。私の息子と元妻は大阪のほぼ中心部に住んでいて大阪全体の傾向性と連動するか、先端的に現れてもおかしくないような場所柄であるが、普通の中学生が夏休みとは言え、一晩中街中をふらついたり、どこかでたむろしているような話しを聞いたことがない。もしそういう事があるのであれば、私の息子が通っている中学であれ、近隣の別の中学であれ即座に問題になって何らかの形で私の耳に入って来ているはずである。もちろん京阪寝屋川市駅付近のことについてまでは私は深夜に偵察に行ったこともないので知らないが、どうであろうか。私は読売新聞の記事内容は疑わしいように思う。もし本当にほぼ連日、深夜に集まって朝まで過ごしている中学生グループが存在するのであれば、8月13日深夜に平田さんと星野くんが徘徊しているところをそのメンバーが目撃していてもおかしくないはずであるが、当日二人が行方不明になって以降、山田浩二容疑者が逮捕されるまでの8日ほどの間、そのような類の情報源、情報内容は極めて重要なものであるはずなのに、報道の前面には一切出てこなかったのではないか。いい加減な記事を恣意的に作成することは止めていただきたいものだ。
100歩譲って仮に寝屋川市駅付近だけそのような現象が実際にあるにしても、大阪市内では考えられないことだ。それは私のように普通に大阪市で暮らしていて、夜半に出て行く機会もある身からすればあまりに明白なことだ。たまたまこれまで目撃しなかっただけなのかも知れないが繁華街のミナミ付近で中学生同士が終電間際の時間帯に屯っている光景に遭遇したことは一度もない。また私は週に1~2回、家の近くで夜の9時半ごろから11時くらいまでの1時間半ほどウォーキングしているが、その行路においてもそのような中学生の姿をこの夏休みの期間中においてさえ見たことがない。それも私のウォーキングは単に決まった道を歩いているだけではなく、それでは退屈なので必ずそのルート上にある夜12時まで営業している本や漫画、ゲームソフト、音楽CDを売っている店に立ち寄って中古本を1~2冊選んで買っていく習慣があるのだが、夏休みの昼間であれば中学生がたくさん来ていそうな店だが、その時間帯に中学生の姿を目撃したこともない。また、たまに最近地元に出来た大型ディスカウントショップのドン・キホーテにも立ち寄っていろいろな商品を見て行くこともあるが、ご存知の通り中高生などの若年層に人気がある店ではあるが、その時間帯では親と同伴の小さな子供は見掛けることはあっても中学生同士で遊んでいる場面を私は見ていない。コンビニの前などでも同様である。大阪市内においてさえそうなのである。平田さんと星野くんが深夜にうろついていたことは、とてもではないが近年における「普通の子」の「普通の行動」などとは言えないものである。
それから子供にスマホを持たせているから、夜間に子供が出歩いても安心だとなどと言う感想は、中学生の子供を持つ親の一般的な感覚からすれば大きくかけ離れたものである。スマホや携帯電話を持たせているから安心というのは、塾など決まった所に出掛けて行って、必ず決まった時間に帰宅する場合における何か不測の事態が起こった場合の連絡手段であって、中学生が一晩中あてもなくふらふらと浮浪者のようにうろつくことを許可する上で、スマホを持たせているから安心などと言うような親が本当にいるのであれば、一度その顔を拝ませてもらいたいものだ。そういう親は日本には一人も存在しないとまでは言わないが、「普通の親」の感覚ではそういう風には決して考えないものである。そもそも今回の事件において、8月13日の午前1時ごろから6時ごろまでの平田さんと友達らとのLINEでの会話内容は詳細に報道されてはいたが、はたして平田さんや星野くんの親が子供にいつの時点で最初に電話を掛けたのかという最も重要な情報については伏せられたままではないか。スマホを持たせているから「つながっている安心感がある」というのであれば、先ず今回の事件に関して親子間でどのようなアクセスとやり取りがあったのかについて時系列的に説明される事が前提となる話しである。それが伏せられているということは考えるに、恐らくは少なくとも平田さんと星野くんが山田容疑者に監禁される13日の早朝6時ごろまでに一度も二人の親は子供の安否や所在を確認する電話を入れていないのではないかと想像されるものである。そのような重要情報が無視されたように報道で触れられていないと言うことは、そうとしか考えられないものである。そうであればそこには「つながっている安心感」どころか「放置された危険性」しか有り得ないものである。それをいかにも怪しげな創作としか思えないような記事内容で、今の時代の普通の中学生はスマホを持って夜中に街中をうろついたり屯するのが当たり前だと言わんばかりの大衆操作を平気で成すようでは読売新聞の品位と知的レベルも地に堕ちたと言わずにおれないものである。日本の健全な社会秩序のためにも非常に迷惑な話だ。そのような程度の記者やデスクは渡邉恒雄会長お得意の人事介入で適材適所の閑職に葬られた方が、延いては日本社会全体の為にもなると私は考えるものだがいかがであろうか。