龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

中1殺害事件の見えざる背景

一つの重大な事件にはマスコミが触れる事のない複数の要因が伺われる。犯人が悪いとか、犯人が憎いとか、被害者が哀れで可哀そうだとか、確かにそれはそうだけど、そんな当たり前のことばかり新聞やTVのように言っていても、社会全体から見れば全く進歩がないものである。何も私は進歩主義とか社会改革を唱えているのではないが、基本的に日本のマスコミや政治は反進歩主義であり現状維持のための見えざる運動を常に行っているものである。そしてその反進歩主義と現状維持志向を大衆に悟らせないために、愛とか思いやりだとか真心などの情緒的な言葉やイメージばかりを垂れ流して、明晰な洞察や分析力が大衆の間に育まれないように操作しているものである。見ていないから私はどういう内容かはよく知らないが、読売TVがいまだに毎年放送している24時間テレビのようなものである。フジテレビは『笑っていいとも』が終了して少しは進歩があったと思うが、あのようなマンネリ化したチャリティー番組も存続の必要性があるのかどうかよく考え直していただきたいものだ。タレントに100キロも走らせて感動を生むなんてことは、体のいいイジメみたいなものではないか。どうしてもその意義があるというのであれば、来年あたりは渡邉恒雄会長に走ってもらえばどうなのか。完走の暁には愛と言うものの本当の意味が顕現されて、日本社会全体が雲間から光が差すように明るくなるのではないか。もしそれが「虐待」だと言うのであれば、自分たちがし続けていること自体が程度の差はあれども「虐待」なのである。
今回の中1殺害事件は大変、悲しい結果となってしまったが、見過ごしてはならない背景がいくつかある。先ず因果関係があるかどうかはわからないことではあるが、またタブー領域の話しになるが、逮捕された山田浩二容疑者が昨年の暮れから契約社員として福島県で除染作業の仕事をしていたということがどうしても気になる。今回の事件は誰もが不可解に思う事であろうが、犯行の動機や目的がよくわからない。2002年にも山田容疑者は中学生をガムテープで縛りつけて監禁する事件を起こしているので、そのような犯罪性向を有していて繰り返されたことは間違いないが、前回の事件の時は中学生が所持していた僅かの金を奪った程度のことであったのに。今回は二人も殺害していて、超えてはいけない一線をほとんど理由もないままに簡単に踏み越えてしまっているような印象を受ける。またその殺害方法が女子生徒の平田さんに対しては工業用ナイフで30か所も突き刺すなど、あまりにも残忍過ぎるものである。これは山田容疑者の異常心理というキーワードだけでは中々説明し難いことだと思われる。敢えて言えば衝動的に我を失って山田容疑者の犯罪性向や暴力性が瞬間的に増幅されてしまったゆえの行動だったのかも知れないが、もしそうであれば、その増幅と除染作業による被爆に因果関係があるとは断定は出来ないが、まったく無関係であるということも言い切れないのではないのか。山田容疑者の擁護をするつもりは毛頭ないが、契約社員であればきちんとした防護服に守られて除染の仕事をしていたかどうかわからないし、被爆の影響が脳に来ていたとすれば、切れたように暴力性や攻撃性が暴発して犯罪衝動が抑制されなくなるような事態もあり得るのではないかと私は想像する。またそういう風にでも考えなければ、今回の事件で二人の中学生が殺されなければならない理由や状況が理解できないものである。
もう一つは我が子を殺されて悲しみに打ちひしがれているご遺族のことを悪く言うのは非常に心苦しいことではあるが、もう二度とこのような事件を起こさないためにも言及は避けて通れない。やはり親は未成年者の子供を保護、監督する責任と言うものがあるのである。女の子の平田さんが12日の夜に家を出て行っていて、平田さんの母親が13日の1時に帰宅して平田さんが家にいないことに気付いたということであるが、夜中の1時まで一体何をしていたのであろうか。もちろん何をしていても勝手であるが、夜中の1時に帰って来て、13歳の子供がいなくなっているのであれば、私ならばとてもではないが心配で眠れない。その時点で警察に届けるかどうかは別にして、一晩中寝ずに心当たりの場所を探し回ることになるであろう。それ以前にそもそも13歳の女の子が、それも見た感じでは不良にもぐれているようにも見えないのに、いくら夏休みだとは言え、簡易テントを持って野宿するなどと深夜に街をうろつく事がおかしいと言うか何か原因があるはずなのである。よくはわからないが普通に考えれば、家にいたくない理由があったからこそそういう放浪をしていたのではないのか。星野君は平田さんと仲が良かったために、平田さんの放浪に付き合うこととなって事件に巻き込まれてしまったように見える。平田さんも星野くんも本当に可哀そうだ。星野君の母親にしても12日の夜9時に星野くんが平田さんの家に行くと言って出て行っているが、12歳の子供が夏休みとは言え夜の9時に外出するのを許可するものだろうか。その辺の感覚も常識的に見れば明らかにおかしい。許可するにしても普通は相手の平田さんの家に電話を掛けて、夜分に迷惑をおかけしますがよろしくお願いします、とか今から遊びに行かせて宜しいでしょうかとか、断りの連絡を入れてからにするものである。そういう当たり前のことをしていれば今回の事件は防げたものである。マスコミが遠慮しているのか何か知らないが、そのあたりのことを報じないのでよくわからないが、一体どういう家庭環境なのであろうか。また全ての記事に目を通している訳ではないので私が見落としているだけかも知れないが、平田さんにも星野くんの家にも父親の影が見えない事が私には気になるのである。子供が犠牲になるこのような事件には何らかの社会的な必然性が見え隠れしているものである。