龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日韓関係の本質

昨日の世界野球プレミア12日韓戦をTV観戦していて感じたことは、大谷の凄さや勝敗はともかくも、韓国の先発投手キムグァンヒョンが日本の打者に打たれていたにも関わらず、顔には笑みを見せていて真剣勝負を楽しんでいるようなゆとりが感じられたことが意外ではあったが、好感が持てた。キムグァンヒョンのその顔付きを見ていて韓国という国も少しは民度が向上する兆しが見え始めているのではないかとも思ったのだ。真剣勝負とは言え、所詮は野球である。勝とうが負けようが、まあ言ってみればどうでもいいことなのである。スリリングで質の高い試合が見れれば基本的には見ている人間は満足なのだ。ところがこれまでの日韓戦は、野球にせよサッカーにせよ、日本のマスコミの取り上げ方も「宿命の対決」などとことさらにムードを煽り立てるような宣伝方法は問題が大きいと言えるが、特に韓国の報道が敗北すれば日帝支配36年以来の屈辱などと大層この上ない表現を用い、単なるスポーツの勝ち負け(特に日本に対して)で国家イメージの浮沈が確定されるかのようにナショナリズムを一喜一憂させている姿に、辟易とさせられると同時に韓国という国家の限界もそこに示されていると考えられたものであった。スポーツや音楽などの芸術活動、そして経済ほか全ての民間活動が韓国の国際的な地位を向上させることに直結していてほとんど実態的には社会主義体制であり、民主主義国家としての国民生活と国家権力の基本的な分離やゆとりがまるで感じられないものであった。韓国の報道などは、同じ民族だから当然なのかも知れないが、北朝鮮政見放送とほとんど変わらないものである。政治もまた同じであり、一応は民主主義のスタイルを採用してはいるが、本質的には民主主義とは相容れない国家至上主義の政治である。
我々日本人は内心において韓国の問題は民族性やナショナリティーにあると考えがちであるが、それゆえにヘイトスピーチなどのレイシズムも日本国内において発生するものであるが、実際は韓国という国は政治や財閥、報道機関などのごく一部の支配層が国家機能を独占するように牛耳っていて、その階層における思想的な偏りや妄執が諸悪の根源であって、民族とか国籍という次元で考察していても戦後の閉塞は打開されないものである。打開されないどころか日本人は未来永劫に及んで戦争責任の罪悪感を背負わされる状態に据え置かれることとなる。しかし日本人だけでなく韓国の一般国民においても本当は韓国政治のそのような反日一辺倒の政治は、どのような意味合いにおいてもプラスにならないものであるし、対外的にも国家的な底の浅さや指導者の器の小ささを晒しているだけのことである。それゆえに優秀な韓国人は国の将来性がないことを見通して、アメリカに一旦留学すると韓国系アメリカ人となって永住し帰国しなくなってしまうものである。日本の韓国に対して取るべき対応は、本来は私も含めて多くの日本人が考える通りにそのような厄介でタチの悪い国とは関わりたくはないということが本音ではあるが、アメリカの要請もあってそうは出来ないということであれば、韓国に日本の内政干渉を許す以上に、日本が韓国の政治批判をしていかなければならないものである。日本が韓国の権力批判をすれば、当然、韓国は激しい反発を返してくるであろうが、韓国という国は日本に対して複雑で屈折した感情を持っており、内心においては日本にいつまでも構って欲しいのである。少なくとも無視されたり、見かけ上の迎合をされるよりは批判されることを望んでいるとは言えないであろうが、批判されてこそ日本と対等な土俵に立てるものであることもわかっているのである。しかし日本の政治やマスコミは戦後秩序の遵守すべき枠組み(それも本来はおかしなものであるが)があって難しいであろうから、我々市民が新しい時代を拓いていくように声を上げていかなければならないのである。今こそ日本人は韓国の民族性ではなく、権力を批判しなければならない時なのである。
そういう意味ではあの鳩山由起夫という人間は、本当に哀れな男である。民主党政権の首相の立場であった時に何一つとして、日本に役立つようなことを出来なかったどころか混乱の原因を作っただけであるのに、政治家を引退してから中国や韓国に入り浸って何をしているのであろうか。土下座して謝罪するのが趣味であるというのであれば勝手にすればよいことであるが、日本の政治とは無関係に行って欲しいものである。そもそもそういう姿勢そのものも鳩山氏という人間の内奥から発せられた良心とか信念というものではなく、単に自らの中身の無さを埋め合わせるためのパフォーマンスであるとしか見えない。鳩山由起夫とはそういう人間であると私は考えている。悪人ではないであろうが、中身がないのである。中身の欠如した人間は政治家に限らないことであろうが社会的な地位を得ると、そのがらんどうを埋めるために何らかの高邁な思想を見せ示したり主張をすることが多いが、鳩山氏はその典型だと思われる。今は元首相としての立場で自らの死体のような内面の空虚を埋める努力をしているだけである。政治家だから何がしか最低限の中身があるはずだなどと勘違いをしてはならない。女性の下着泥棒の分際のくせに地元の名士であることを理由に威張り散らし他人にバナナの皮を平気で投げつけるような人間が大臣になっているが、国会議員の精神性など多少の差はあれど皆その程度のものなのであろうと思われる。韓国の政治も酷いが、日本の政治家のレベルも恥ずかしいぐらいに惨めなものである。世襲議員にはろくな人格や能力が生み出されないということであろう。鳩山氏は自民党を結成した祖父、鳩山一郎の血族と財力だけで総理大臣になったようなものである。ともかくも根本的に中身のない人間は、いい意味でも悪い意味でも最終的には他者に影響を及ぼせないというところに特徴がある。元々が軽い存在だから、馬鹿にされるか利用されるかのどちらかでしかない。右翼の街宣車が鳩山氏を取り囲んで糾弾したという記事があったが、そういうことはすべきではない。なぜならそういう行為は元々中身のない人間に対して、正当性のよすがを与えてしまうこととなるからである。当人も正義のために迫害されているという高揚感を感じて、少なからず満足していることであろうと想像される。その程度の人間ははっきり言って、取り囲む値打ちすらない。放っておけばよいのである。朝日新聞のような左系の報道機関ですら、ほとんどまともに取り上げていないのであるから相当なものである。とにかく日本の政治も破廉恥なほどに低劣ではあるが、これが日本人全体の平均的な精神性のレベルであると看做されることだけは何としても回避しなければならない。日本という国は世界の平和のために敢えて人畜無害なだけの無能な人材を政治家に担ぎ上げているのだと我々一市民が世界にアピールしていかなければならない必要性がある。そうでなければいざ有事となったときにこの程度の政治家が治める国の国民は殺しても何ら心が痛まないということになりかねないからだ。戦争とはそういうものだと思われる。
政治や外交は所詮は虚構や仮構でしかありえないが、最終的には国民生活の精神性と真実に収束していくものと考えられる。そのプロセスが長いか短いかだけの問題だ。そういう文脈で日韓関係というものを考えなければ、その本質は何一つとして見えてはこないものである。