龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国の特性

世界野球プレミア12が韓国の優勝で終了したが、日本は準決勝で韓国に敗れた。敗因については小久保監督の継投采配ミスが多く指摘されているが、また小久保監督自身も認めているものであるが、私は単に継投における監督の判断、決断であるということではなく、韓国という敵を知り得ていなかったことに問題があったのだと思われる。「敵を知り己を知れば、百戦殆うからず」とは孫子の兵法が教える教訓であるが、知っているつもりが実は見えていないと言うことが盲点になって敗れるということの見本である。小久保監督は大谷を7回を抑えた時点で降板させて8回から則本を登板させたが、それは通常の試合における勝ちパターンである。韓国という国の、そして日韓戦に特徴的な展開の機微を理解できていなかったゆえに小久保監督は一般的な勝利への方程式を安易に適用させようとして失敗してしまった。恐らくは総合力で見れば日本の戦力の方が韓国を上回っていたであろう。しかし総合力で秀でていても必ずしも試合に勝てるとは限らない。そしてそこに監督の経験と力量が現れる。
韓国の強さがどこにあるかと言えば、総合力にあるというよりも特に日本に関して言えることであるが、集中力である。一点突破の集中力でチャンスが来た時には怒涛のような攻撃で一挙に流れを変えてしまうものである。これはサッカーに関しても言えることであるが、日本は韓国に対して競り合ってしまうとほぼ確実に負けてしまうものである。それは技術力であるとか精神力であるというよりも集中力の差であると考えられる。日本が韓国に勝つためには、韓国の集中力が発揮されないように試合全体を俯瞰して散らせるような組立方というか、そのようにコントロールする意識、戦術がなければ、必ずどこかでやられてしまうこととなる。競り勝つということと集中力は密接な関係にあると考えられるが、韓国は個人の集中力も凄いが、それをチームの総合力に転化させて爆発させる能力が高い。しかし一定以上の能力差があれば、要するに競り合っていない状況であればその集中力も発揮されない。準決勝の日韓戦で言えば好調の大谷に対しては、さすがの韓国打線も手も足も出ないものであったが、大谷が降板したあとの2番手投手に対して驚異的な集中力が生み出される状況が作られることとなった。これは11月8日の予選リーグにおける韓国との第1戦においても同じであったが、大谷降板のあと則本が三者凡退で抑えることが出来たのは1イニングだけである。韓国の日本に対する驚異的な集中力の下では、大谷の後の則本では球速も遅いし打ち易いということとなる。3番手の松井に至っては明らかに役不足というか大谷、則本、松井と段階的に球威が確実に落ちているので、最終的に滅多打ちの状態となって試合がひっくり返される流れとなる。同じ球速であっても早いと感じるか遅いと感じるかは相対的なものであり、韓国と言う敵の特性を考えた場合にはその継投では試合の組立方が悪かったから負けたと言わざるを得ない。初戦の韓国戦においても5点差があったから何とか無事に逃げ切ることが出来たが、一歩間違えばどうなるかわからないような危うさは感じられたものであった。しかし肝心の準決勝でその教訓が生かされずに同じような戦法をあてはめたことによって見事に勝ち試合をひっくり返されてしまったことは、監督の勝負師としての甘さであり、必然と言えば必然なのである。よって負けるべきして負けたというべきであろう。サッカーにおいても韓国は数少ないチャンスを一点突破の集中力でものにして勝利に持ち込むパターンが多いが、その特性を封じ込めるには日本の監督は、対韓国ということで特殊な戦術で対策を練らなければ、一般的な勝利への方程式をあてはめようとしたところで確実に負けてしまうことをよく肝に銘じなければならない。野球においてもサッカーでも、日本が韓国に負けることが多いのは韓国と言う敵の特性、本質を知り得ていないからである。反対に韓国は日本をよく研究しているし、よく知っている。だから勝ち方がわかっているのである。これはスポーツだけでなく政治の外交でも同じである。日本はもっと謙虚になって韓国をよく研究しなければならない。反対に言えば、韓国は集中力しかない国なのである。アーチェリーの矢を的の中心に射るが如き集中力さえ殺いで封じてしまえば韓国など恐れるに足りないということである。