龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

NHK受信契約義務化に見る権力と情報の闇

何でNHKの受信料を支払わなければならないかということは、人間は何のために生きているのかということと同じぐらいに哲学的で根源的な問題である。最高裁がNHKの受信契約を結ばない男性に対して、NHK受信料の支払いは義務であるとの判決を下した。その根拠は、「受信料制度が国家機関などから独立した表現の自由を支えている」
ということであり、そのためには特定の個人や団体、国家機関の影響がNHKに及ばないように、放送を受信できる人は公平な負担を負わなければならないということであるらしい。
馬鹿げている。嘘っぱちである。いかにも日本の権威の最高峰である最高裁が捻くりだしそうな捻じ伏せの論理ではあるが、実態とはかけ離れているという以上に正反対である。NHKの放送内容は特定の個人や団体はともかくも、日本や諸外国の国家機関の影響から独立などしていない。独立どころか完全に従属しているといっても過言ではない。NHKだけの問題ではないが、全てのマスコミが国家機関から独立していて、権力の暴走を監視しているかのように表面的に取り繕われているだけである。国民から見えない中核的な部分においては情報は国家権力にコントロールされているものである。ただコントロールといっても北朝鮮などの社会主義国家のように一切の批判や不平を封じ込めて言論統制が図られているものではなくて、ある程度の「揺らぎ」が社会に組み込まれている。その揺らぎの度合いが、右翼と左翼、保守と革新などの区分も含めて本質的には日本の民主主義の正体なのである。日本の民主主義とは、コントロールされた範囲内の揺らぎの「振幅」でしかないのであって、それは本当の民主ではなくて、実質的には洗脳であるとか監視体制などの統治様式でしかないものである。そしてその統治体制において、国民の目に見えない深層にあっては国家権力とマスコミ(情報)は一枚岩のように結託というか連携しているものである。司法もまた例外ではなく、それらの統治構造の外部に位置しているわけではない。だから国家権力や政府の犯罪を処罰する判決が出されることはあっても、今回のように日本の統治システムそのものが揺るがせられるような、そしてその民意の揺るがせによってこれまでの管理された揺らぎの振幅が破壊されるような事案においては、捻じ伏せの論理で抑え付けることによって体制が維持されることになるものである。情報はその質や程度、振幅も含めた虚構民主主義の総体として国家権力に管理されているものであって、独立などしていない。そしてその情報の最重要組織がNHKなのである。我々国民がNHKの受信料を支払わなければならない理由は、本当は大人しく去勢され、洗脳されるためなのであって、国民のための国家権力から独立した情報を支えるためなどでは在り得ないものである。そして裁判所の判事はそういうことを百も承知の上で、いや承知しているからこそ国民精神の自立を捻じ伏せようとする判決を出すのである。
政治権力と情報操作の疑いについて述べれば枚挙に遑がないが、一つ例をあげれば1985年の日航機墜落事故がある。信じる、信じないの問題ではなくこの墜落事故は、一般に報道されていることと真相には大きな隔たりがあることだけは間違いない。墜落原因についての説明もそうであるが、墜落した地点が当時の政府によって意図的に混乱させられて、捜索、救難活動が妨害された疑いが濃厚である。政府は最初にNHKの報道内容に圧力をかけて日航機の墜落地点をミスリードさせることによって、それに続く民放各局との報道規制や地元警察による墜落現場への立ち入り規制を敷いたであろうことはほぼ間違いのないことである。それによって本来は助けられていたはずの多くの生存者の人命が見捨てられたものである。見捨てられたという以上の悪業が為された可能性すらあるものである。日本の国民は政治権力と情報組織が結託している腐敗の闇の深さを何も知らないのである。知らない方がいいから敢えて目を逸らしているということもあるのであろうが。何が、受信料制度が国家機関から独立した表現の自由を支えるだ。そんな転倒した国策の屁理屈よりも、日本の裁判官には人間としての良心であるとか倫理の在り方をよく考えていただきたいものである。