龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

言ってはいけないことを言う。

二日ほど前のNHKの『ニュースウォッチ9』をスポーツジムでトレーニングしながら器具のモニター画面で見ていると、ノーベル文学賞を受賞した日系人カズオ・イシグロ氏がインタビュービデオで出てきて、日本へのメッセージとして日本は過去に向き合う強さを持っているのか、諸外国が歴史的に通過してきたそういう強さを日本も持たなければならないというような内容のコメントが紹介され、それに対してキャスターが神妙な顔付きで真摯に受け止めなければならないなどと言っている場面があった。カズオ・イシグロ氏が自主的に言っているのか、或いはNHKがそういうセリフを言わせているというか、巧妙に引き出させているのか、まあその両方であろうが、NHKとはそもそもそのようなセリフなりメッセージで国民を啓蒙し続けるために存在している「国営」の放送局なのである。何のための啓蒙なのかと言えば、日本人の精神を戦後統治の枠組みに嵌め込み続けるための権力と直結した大衆操作なのである。過去に向き合うべきは、大衆ではなくて政治権力なのであるから、表面的にはNHKが政治に対峙して牽制しているようにも見れるが、そういう形式で国民を統治の型に組み込んで政治と情報が一体化した大衆操作を見えなくさせてしまっているものである。確かに権力にせよ、権力とは無縁の大衆にせよ、マスコミなどの情報機関にせよ、過去とは向き合わなければならない。それはそれで道理である。しかし戦後の日本はもう過去とは十二分に向き合ってきているはずであるし、それが不足であるというのであれば、それでは言わせてもらうが政治なりマスコミは一度でも日航機墜落事故の真相と真正面から向き合ったことはあるのか、向き合う強さはあるのかということである。それともそのようなタブーは過去に含まれないのであろうか。含めてはいけないのであろうか。NHKを筆頭にしたマスコミや政治が言うところの過去とか真実や正義とは、全て言ってみれば戦後統治に収まる範囲内のものでしかないものである。その枠内に自民党だけでなく民進党共産党なども含めた政治が様々な情報と時勢に応じた様式で結びつきながら、タンスの中の下着のように整理整頓されて収納されているのである。日本では混乱もまた秩序の内である。政争などのドタバタ劇は大衆の目を本質から逸らせるための手段に過ぎないのであって、そういう意味では日本には右翼も左翼も存在しないのである。TVなどの情報空間で論じられる言説は、ちんどん屋が打ち鳴らす鉦やラッパのようなものであってその音には本当は右も左も正義も不正もなくて、単に民主主義を皮相的に活性化させる広告でしかないということである。今の日本の情報空間はそのようなレベルで見なければ騒々しいだけで何も見えてこない。
ただそういうことが一旦見えてしまうとあまりにも虚しすぎて、正直に言えば、生きていること自体が虚しいものであるが、何も言いたくはないし、言えないという心境に陥ってしまうものである。だから私には私以外の日本人が心の底で一体何を考えているのかよくわからないところがある。これほどにコントロールされた情報の中で生きていて何か楽しいですかと、一人一人に聞いて回りたくなるのだ。本当はこういうことは言ってはいけないことなのであろうが、時には言いたくもなる。