龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を見る

世の中はよくわからないことが多い。映画を見た。『シェイプ・オブ・ウォーター』というアメリカ映画である。監督はメキシコ出身のギレルモ・デル・トロで、この人は小説家でもあるようだ。映画を見る前に原作の有無を調べてみるとダニエス・クラウスという人との共作でギレルモ・デル・トロがこの作品の原作を書いていて、600ページにも及ぶ文庫本が日本では今年の2月末に発売されているのである。面白そうなので余程、映画を見る前にその原作を買って読もうかと迷った。フィクションであっても歴史的な事実を包み隠すように、真実を巧妙にカムフラージュして作られた作品は多いと思われるからである。そしてその辺りのことは2時間ほどの映像ではなく、原作の活字を熟読しなければ推測できないことであるからだ。しかし600ページもの小説をゆっくり読んでいる内に映画の上映期間が終了してしまうであろうから、取り敢えず映画を先に見たのであった。結論から言えば、原作を買わずに正解であった。
あまりにも映画の評価が高いので、完全なフィクションであったとしても原作を一読する価値があるように思われたのだが、とてもではないがまともに向き合うべき内容だとは思えないことが映画を見てわかった。一口で言えば、趣味が悪すぎるのである。カムフラージュされた真実の匂いも何もあまりにも馬鹿げた内容であるし、フィクションとしても何の美しさも感じられない。何でこのような作品がアカデミー賞の作品賞を受賞するのであろうか。謎である。
粗筋を簡単に紹介すると、60年代のアメリカにおいて、軍の研究所のような所で半魚人が水槽の中に捕らわれて実験材料にされている。この映画の主人公は口が不自由で、毎日、自宅アパートでバスタブに浸かりながらオナニーに耽る欲求不満な女性である。女性はその研究所で清掃の仕事をしていて、ある時に水槽の半魚人を目撃することとなる。それから女性は何を思ったのか半魚人にゆで卵を水槽の縁から与えながら交流し、心を通じ合わせるようになっていく。それから(途中で馬鹿らしくて寝てしまったので詳細な流れがよくわからないが)、半魚人が水槽を破って研究所から脱出すると、女性は自宅のマンションに半魚人を匿い、世話をしながら愛を育んでいく話しである。愛を育むなどと言えば、ロマンチックに聞こえるかも知れないが、半魚人は本能的に女性が飼っていた猫の中の一匹を頭からむしゃむしゃと食べてしまうような凶暴な性質である。そのような生き物に人間の女性が恋をするものであろうか。こういう映画を宣伝文句につられて感動的であるとか、心が暖まることを期待して見に来ると何だこれは、ということになるであろう。音楽だけはムードのあるジャズボーカルが流れているのであるが、アメリカの大衆映画も、もう訳のわからない領域に侵入してきているような気がする。そしてこのような映画がアカデミー作品賞を受賞して、大ヒットしているのであれば、世も末だという感慨を私は抱いてしまうものである。因みに映画には決してアベックで見てはいけないものがあると思われるが、この映画はまさにその代表として分類分けされるのではなかろうか。アベックで見ると映画館を出た後に、とても気まずい思いをしなければならない。私は寂しく一人で鑑賞して(寝て)いたので良かったが、前の席に座っていた年配のアベックの女性の方は上映時間の半分くらいは眠っていた。なぜ後ろの席から分かったかと言えば、途中で前の席の女性が見えなくなっていたので女性だけ帰ってしまったのかと思っていたのである。そうすると映画の中盤過ぎになって突如として女性の頭が復活したので、寝ていて頭部分が座席の背もたれに沈んでいただけであったことがわかった次第である。隣の男の方は一睡もせずに見ていたようである。人間と半魚人の恋物語に何か心惹かれるところがあったのであろうか。