龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

思考停止の科学

思考停止とは、日常生活の中で自分一人で考えても真相はわかりようもなく、またどうしようもないことに対して思い煩ったり、あれこれ考えることの時間の無駄や心的エレルギーの非生産的な消耗を回避して、社会や他者とのコミュニケーションが成り立つ現実的である意味では健全な意識を保持し続けるための反応であるとも言えるのであるからそれ自体は必ずしも間違っているとか逃避だなどと言えるものではないと思う。むしろ人間とか生活とはそういうものであるとも言えるであろう。
しかしである。こんなことを言ったところで何も響かないであろうが、今一度こういうことを考えていただきたい。大きな災害が発生すれば、電気や水道が止まる。そして生活が一時的に不便になるが、しばらくすれば復旧して元の生活に戻ることができる。仮にどこかで何百人の人々がその災害で亡くなったり、何千世帯もの家族が家を失ったとしても、それはそういう一部の人々の不幸であって、結局のところは自分とは何の関係もない話しである。確かに気の毒ではあるけれど、ともかくも自分の生活が第一であって電気と水道が復旧して普通の生活に戻ることができたのであれば、目の前の現実だけを見つめて、日々の仕事をしたり、借金を返したり、恋愛やファッションを楽しんだりの日常を復活させるだけのことである。それが正しいとか間違っているなどという価値判断の問題ではなくて、社会の在り方や人間の生活とはそういうものなのだと思う。しかしそれでもやはりそこに根本的に欠けているものがあるとすればそれは思考である。日常生活を離れた高次の思考である。電気や水道が復旧しても、思考は永遠に止まったままなのである。
どうして日本にこれほどの災害が集中して発生するのか。その必然性は一体、どういうところにあるのか。本当に全てが自然災害なのか。日本全体の思考停止は誰が、どのような方法で維持、管理しているのか。こういうことは日本人全体が思考というもののタブー忌避やリミッターを外して大衆意識として常識的に追及していかなければならないものだと思う。そしてその潮流が一定の軌道に乗り始めた時に、日本の災害は自然な姿に戻っていくのではないかと私は考えているものである。