龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

酒と我が人生の日々

免疫力を引き上げるために2年半の間、断酒して思ったことは、本当にこの国はTVをつければ酒のコマーシャルばかりだし、ちょっと外に出ても酒の看板やポスター、チラシばかりが至る所で目について、洪水のような酒の情報というか誘惑に四六時中、浸かるようにして生活しているのだから、これではアル中の人間が増えるのも仕方がないと身に沁みるようにわかったものである。今更、改めて言うまでもないことだけれど、酒は身体に良くない。そういう認識は多くの人が漠然とは持っているであろうが、どの程度、良くないのかということである。私の経験上で言えば、思っている以上に良くない。肉体に良くないだけでなくて、精神にも少なからず悪しき影響を及ぼしているように思われる。常に身体にアルコール分が残っている状態では鬱になったり、何をするのも億劫になったり、無力感に囚われやすくなる。そういうことは私自身もそうであったが若い時には実感としてわからないのである。具体的に言えば50歳を超えてからわかるようになってくる。若い時には酒の成分が肉体の中で自律的に分解されていくのが、洗濯物が乾くのと同様に当たり前のように感じてしまうが、肝臓が日々アルコールを分解する負担と言うものは決して小さなものではないのである。人間の身体は機械と同じである。余計な負担があれば何かが犠牲になる。その微小なマイナスの膨大な蓄積がやがて人間の肉体に病をもたらす。敢えて名前は出さないが芸能人でも50歳代や60歳ぐらいで若死にするような人は、酒が原因であることが多いのではなかろうか。

私が断酒している間は、当初心配していた禁断症状は出なかったが、外を出歩くのが嫌になった。あまりにも酒の誘惑が多いからである。人間は常に情報によって五感や記憶が刺激されている。マスコミや広告業界に金が集まる訳だ。とにかく外に出歩くと忘れていた酒の味が脳に甦ってくるので、休みの日も家に籠ることが多くなった。幸い家の中では冷えた缶ビールを飲みたいという欲求は真夏にも生じてこなかった。酒を止めてこそわかったことだが、缶ビールや缶チューハイなど全然、美味しくはない。単にTVのCMで飲む映像を見慣れているから、そういう情報に影響されて惰性的に身体に流し込んでいただけのことである。ただし忘れようとしてもどうしても飲みたい酒はあった。断酒するまで私は難波、法善寺横丁の近くにあるとあるバーによく一人で飲みに行っていたのだが、そこで飲んでいたカクテルのミリオンダラーの味が、寝ている時に夢の中で思い出されるのである。ミリオンダラーというカクテルは、ピンクレディもそうだけれど卵白を使って作られるもので、その辺のバーでは卵を置いていないので作れないことが多い。よってミリオンダラーやピンクレディーを作ってくれるバーは、バーテンダーのカクテルに対するこだわりがあって腕も良いと言える。店名は出さないが、私が行っていた難波の店も安い値段でテーブルチャージもなかったが、ミリオンダラーがとてもうまかった。そしてその味の記憶が夢の中で甦ってくるのだ。それは脳内の海馬に貯蔵された記憶というよりも魂の欲求に近かったように思い出される。私の魂は寝ている間に身体から離脱して、その店のミリオンダラーを飲みたいがために、その辺りをうろうろと彷徨っていたのかも知れなかった。その時に私が寝ながらにしてぼんやりと考えたことは、その時点では私はもう一生、酒を飲まないと固く心に決めていたのであるが、このままの状態でいつか歳を取って死んでしまうと、その店のミリオンダラーを飲みたいという気持ちが、この世への執着となってしまって成仏できずに法善寺横丁辺りを浮遊することになってしまうのではないかということであった。意思を強く持つのもよいことであろうが、そういう死後のリスクを抱いたまま、生き続けるのもどうかと寝ながらにして考え迷う私がいたのである。

断酒をしている時期に高校の同窓会があって、正直に言ってあまり気は乗らなかったのであるが、熱心に誘われたので参加することになった。酒なしにである。仮に酒があったにせよ同窓会という場が、時間を忘れるほどに楽しいかどうかは私の場合は疑問であるが、自分一人だけが麦茶やジュースで同窓会という独特な雰囲気を何時間か乗り切ることは、ある種の修行であると言える。私はその修行をその翌年の同窓会も断り切れなかったので2年続けて行うこととなった。35年ぶりに高校時代の同級生と再会したことで同窓会以外のプライベートでも山登りに誘われることとなった。そういう機会がなければ一人ではなかなか運動不足を解消できないと考えた私は誘われるままに山登りやハイキングなどのトレッキングを始めたのである。当初は誘ってくれたその男性と2人だけで近場の山に行っていたのであるが次第に仲間が3人、4人と増え、メンバーにフルマラソンや100キロマラソン、山を走るトレイルランなどに頻繁に参加している超人のような男が加わったことでそれに刺激されるように、あろうことかランニングやマラソン参加も始めることとなったのである。それもまた修行だと考えた私は体力増強を目指してラインで連絡を取りながら山登りに参加したり、マラソン大会に出場する事態となったのだ。そうなってくるとどうしても打ち上げの場の酒というものは避け難い。最初の頃は何とか自分一人だけ酒を飲まないで我慢していたのだが、ある時にふとこの酒を飲まないという苦行は、一人の孤独の中ならともかくも仲間との交流の中においてまで頑なに貫徹させることは不可能でないにせよ間違っていると思い至るように考えが変化してきたのであった。これでは単なる変人である。私のように本質的な変人は、他者から変人と見做されることが恐ろしいのだ。免疫力を高めるために始めた断酒ではあったが、昨年の1月年明け早々に病院で血液検査をしてもらったところ全ての項目で異常なしであった。その3年ほど前に行った人間ドッグの検査の時には血圧も上が150以上あって、医師から盛んに降圧剤を薦められたのをまた薬漬けにされてたまるかと拒否したのであったが、上が110120、下が7080と正常値になっていた。当たり前のことではあろうが、酒を止めると飛躍的に健康を回復することを思い知ったのであった。それでその時に私が考えたことは、このまま一滴も酒を飲まないという苦行を続けることは、御釈迦さんが悟りに至る厳しい修行の中で気付いたとされる極端さの弊害に近いものではなかろうかということだ。多少は言い訳がましい屁理屈も含まれていたとは思うが、これは中庸の精神に反することだと考え、家の中では断酒を継続させるが、付き合いのある外では飲んでも良いというルールに変更することを決心したのである。

それで去年の4月1日にその仲間たちと10キロマラソンの大会に出場することになったのだが、その日を酒の解禁日と決めた。決定的に体力が不足している私は、僅か10キロの距離を走っただけで死にそうなほどにしんどかったが、とにかくも10キロの距離を完走して、酒を飲めるだけの健康を取り戻せたことは大変に嬉しかった。そういうことでその解禁日から1年ほどになるが、決めた通りに家飲みは一切せずに、大体週に1回のペースで外で飲んでいる。これもまた健康回復のために2年ほど前に始めた太極拳に週1回習いに教室に通っているのだが、最寄りの駅からその教室に行く途中に上手そうな感じの店構えのバーがあって、断酒している時期はその店の前を通るのが大変に辛かったのであるが、今は毎週、太極拳帰りにその店に通っていてすっかり常連になってしまった。今となってはその店で飲む週1回の酒がどちらかといえば目的で太極拳の教室に通っているようなものである。そこで飲む以外の付き合いの機会は、控えめに制限するようになってきた。仕事が忙しいということもあるが、高校時代の山登りやハイキングのメンバーはその後、女子までたくさん加入することになって、同窓会とほとんど変わらないくらいの大層な集団になってきて私の足は自然と遠のいてきたからだ。前にもどこかでちらっと述べたことがあるが、そもそも私の正体は宇宙人である。地球人ではあるが、魂は宇宙人としての来歴のあるライトワーカーなのだ。恐らくはであるが。宇宙人の魂は、賑やかな交流の場と言うものが苦手なのである。3~4人くらいまでが限度である。あまりに大人数の交流の場に参加するとなぜか砂を噛むような孤独を感じるし、自分の魂の奥底に秘められている異質性であるとか異端性などが何かしら罪深いもののような気がしてくるからである。自分で勝手にそう思い込んでいるだけかも知れないが。それとこれは本質的に非人間的な宇宙人性と関係があるかどうかはわからないが、私のように離婚して親権を取得しているにも関わらず子供とは一緒に住まずに、元妻と一緒に生活している息子を経済的に支援というよりも、親権者であるから当然のことであるが一切合財を負担しているようなライフスタイルについて高校時代の同級生たちに説明することが面倒というか非常に億劫であるし、世間一般の家庭的な価値観や常識に楯付いているようでもあり、一緒に酒を飲んで気持ちよく酔うという境地には至らないのである。だから私は昔から、そして今でもそうであるが一人で飲んでいることが多いし、それが性に合っているのである。何光年か離れた故郷の星か、地底世界のシャンバラを思いながらである。ともかくも宇宙人の魂であろうと何であろうと、地球で生活している限り、体力は必要なので出来るだけトレーニングはするようにしている。去年の8月に高校時代の仲間4人で富士山登山に行った時には登りは問題なかったのであるが、下りで富士山特有の瓦礫の多さに足を踏ん張ることが出来ずに何度か転び、体力を消耗させ熱中症の状態になってしまい、一人だけ取り残されたように遅れて非常に情けない思いをした。そのリベンジをマラソンで果たしてやろうと、去年の11月と12月は1カ月に計80キロほど走っていたのであるが、1月に入ってからは息子の大学入試のことで忙しくなってしまって、まったく走れていない。恐らく脚力はまた元の状態に戻ってしまっているであろう。息子は何とか大学に合格し、一人暮らしを開始するということでそのためのマンション探しや契約、引っ越しの準備もほとんど全て私一人で行ってきてそれもまた非常に忙しかったのであるが、ようやく落ち着いてきた。また近々、走り始めたいと考えている。