龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

『痴漢は犯罪です!』

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7月26日、産経新聞の文化面に面白い記事を見つけた。オーストリアの動物行動学者コンラート・ロー

レンツの理論を引き合いに出して、地下鉄駅内でよく見かける「痴漢は犯罪です!」のコピーはある種の

刷り込みだと言うのだ。ローレンツの刷り込み理論はよく知られているように孵化したアヒルの子が最初

に見た動く対象を母親と思ってついていく行動のことだ。


この記事を読んで地下鉄を利用する時に、何度も否応なく聞かされる痴漢は犯罪ですのアナウンスにうん

ざりしたことを思い出した。言っていることが正しくとも洗脳されるのはごめんだ。それに厳密に言えば

刑法にも迷惑防止条例にも痴漢と言うコトバはないので「痴漢は犯罪」ではないとのことである。それで

も痴漢を働く男に対する抑止効果があるだろうことは認めるが、この記事が言うように「男はみんな痴漢

だよ」と刷り込むことの危険性は大きい。現実に痴漢冤罪の報道を目にすることも多くなっているように

思われる。現代人、特に日本人は、このような刷り込みや誘導に無防備というか鈍感すぎないか。いかに

普段、ものを考えていないかということである。考えない者の運命は操作される以外にあり得ないと言う

ことをどうして大衆はわからないのだろうか。と、言っても別に私は痴漢をする男どもの弁護をするつも

りはない。見知らぬ男にいきなり触られることは何よりも内面を侵害されているのだ。存在そのものが軽

んじられ馬鹿にされているのである。ものすごく腹が立つのは当然であるし、その気持ちは男である私に

もよくわかる。しかし痴漢冤罪は一人の男の職を奪い、家庭を破壊し、社会的生命を抹殺する。正に生き

るか死ぬかの問題である。女性の親告だけで痴漢を作り上げてはいけない。刷り込みの影響がないとは言

えないのだから。又本当に痴漢であったとしても罪の軽重に見合った寛容精神が社会全体に必要なのでは

ないか。日本の全ての問題はバランスを無視して極端に走ることにある。そして健全なバランスの基準で

あり基本となるものはやはり道徳感覚なのであろう。自分に理があり、誰かに非があると見るや死ぬまで

追い詰めようとするかのような大衆心理には、はっきり言って嫌悪感を越えた憎しみすら感じる。それ自

体が道徳基準の不在を端的に物語っているからだ。