龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

教育現場の問題について


先日、TVで学校の教育現場における暴力を認めるか、否かで賛成派と反対派に分かれて討論し最後に投

票を行なうという企画の番組をたまたま目にした。私は何故か討論番組が嫌いである。それで、つまらな

いなと思いながらもだらだらと最後まで見てしまった。理由は私の息子が今年の春から小学校に入学した

からである。教育現場の問題については黙っていられないので思うところを述べたい。


先ず第一に学校内において教師の暴力を認めるという発想がくだらない、馬鹿げている。大人の子供に対

する暴力を認めていい理由があるわけがないではないか。そんなこともわからないのか、馬鹿野郎と言い

たい。しかし本当の問題はそういうところにはないはずだ。暴力を条件付で容認するような規則なり法律

について議論することがあまりに幼稚なのはいうまでもない。見るに耐えないし、聞くにも耐えない。し

かし教師が何らかの理由で暴力に頼らざるを得ない状況において、子供に暴力を行使してしまった時にそ

の教師をどのように処遇し評価するか、それが社会全体にとっての本質的な問題ではないのか。それは

“評価”の問題であると同時に我々一人一人の生き方が問いかけられていることでもある。人生全てにお

いてルールを決めて、その枠内で生きていくことなど誰にも出来ない。人は誰でもその時にどうするかと

いうことが重要なのであって、問題を一般化して右か左の二者択一を迫られたときに最も大切な何かを失

い、仮定的なその答えにいつまでも引きずられてしまう。

たとえば一部の生徒の非行によって大多数の生徒が授業を受ける権利を妨害されているような状況におい

て教師が暴力を行使した場合、その教師を処罰するべきであろうか。私はそうは思わない。処罰するべき

ではないと考える。しかしそれは暴力を容認することではないし、ましてや推奨していることでもありえ

ない。暴力はいけないという共通認識を持つことと、時と状況によっては暴力を不問に付すということは

両立し得ないことではないし、寧ろ健全な社会を作ろうと望むのであれば両立させなければならないこと

のはずである。矛盾のないところには真理もないのである。どうして、そんな簡単なことがわからないの

か。日本人全体が頭でっかちで大人の考えと判断が出来なくなっているからではないのか。

また、教師が暴力に頼らざるを得なくともよいシステムを構築することが何よりも先決なのではないか。

巷間、言われているように今日の教育現場における問題は種々様々に存在するのだと思われる。生徒が教

師に対してため口を使うのは問題だし、生徒が教師に暴力を働くのは論外だ。しかし、それと同じように

教師が生徒に対して暴力に訴えたり、たとえ暴力を振るわなくとも子供を自殺に追い込むような人格攻撃

をする教師がいること、またはそのような雰囲気が教育現場にあることは大変な問題だ。教師が生徒に猥

褻行為を働いたり、盗撮するなど論外である。

ではよくよく考えて、それらの問題を解決へと向わせることを阻んでいる要因は何かと言うと学校という

集団の自治が崩壊していることではないのか。自治という建前の中で学校は隠蔽的で中身の見えないブラ

ックボックスのような集団になっているのではないのかと私は思う。それが教育現場における全ての問題

の根源ではないのか。文部科学省管轄の垂直的な縦割り行政の弊害は明らかなのに、どうしてその部分に

メスを入れないのだ。具体的には地域ごとに学校の状況を観察する第三者機関を設ければよいと考える。

きちんと授業が行なわれているか、いじめや暴力行為が行なわれていないか、学校全体が荒んでいないか

など権限を与えられた各々調査員が地域内の何校かを担当し巡回観察するシステムを早急に作るべきだと

思う。そして問題の大きい学校や生徒、教師についてはその学校の自治にまかせずに第三者機関を経由し

た水平的な連携のなかで最善の解決策を見出す努力をするべきだと思う。学校に対して横からずぼっと風

穴を開けて情報公開し、地域全体で問題を共有して解決に当たっていくという意識転換の作業が必要だと

考える。第三者機関がどこまで機能するかという疑問はあるかも知れないが、その方向に向けて着手する

だけで現在の問題の何割かは解決されてしまうものだと私は推測する。生徒の非行も教師の非行も閉ざさ

れた空間内部における“あまえ”の土壌で生まれるものだと思えるからだ。また教師の肩を持つつもりは

ないが一人の教師に全体の問題を押し付けることは、ウエイトリフティングの初心者にいきなり100k

gのバーベルを持たせるようなもので潰れて当然だと思う。あるいは見て見ぬふりをして放棄するかだ。

まだまだ言いたいことはあるがこれ以上長くなると読むのもしんどいだろうし、書いている私もしんどく

なってきたので次回にする。