龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 71


今年の5月に中学時代の同窓会があった。ほぼ30年ぶりでの旧友たちとの再会であった。そしてそれは

私にとって単に懐かしいというだけでは済ませない、自分自身の原点を探る回帰をも意味していた。

会場に立ち入ると当時の面影を残す顔も、見知らぬ人間に変身してしまったような顔もあった。しかし面

白く思ったのはその人なりの身体の微妙な動かし方やしぐさ、佇まいが30年経った今も全然変わってい

ない事実を発見したことである。人間、顔は変わっても身体は変わらないのである。おそらく顔は社会性

の反映であり、身体の動きがその人の終生変わらぬ本質なのであろう。

私はどのように記憶されていたのか。驚いたことに私は何と作文で皆に覚えられていた。私は今でこそ本

に囲まれたような生活をしているが、高校卒業ぐらいまでは教科書以外の小説などは、ほとんど一冊たり

とも読み通したことがなかった。しかしどういうわけか幼少より学校で作文を書くと先生に褒められた

り、選ばれたりして皆の前で発表させられることが多かったのである。中学時代は夏休みの宿題で生活体

験文というものを書かされた。私は中学一年生の時に“朝は眠たい”という奇妙なタイトルの文章を書い

た。これがクラス代表に選ばれて体育館で発表させられることになった。一学年は8クラスあって8人の

代表が全一年生生徒の前で次々と朗読し、その後生徒の投票で学年代表が選出されるのである。私は7~

8割位の圧倒的な集票率で学年代表に選ばれた。詳しい内容は私自身が忘れてしまっているが、“朝の眠

たさ”というものをさながら選挙演説のように、あるいは刑の軽減を情状酌量にて請い求める罪人のよう

に切々と訴えたものであった。「夜は眠たいし、昼も眠たい。しかし朝はもっともっと眠たい」と締めく

くると体育館が揺れるようにどよめいた。

現在、大阪市役所で企業誘致をしている男は、あれは中学一年生の時ではなくて大人の今に書かれたもの

であっても名作だと思うと言ってくれた。

中学2年生の生活体験文では“とかげ”という作文を書いた。当時、私はデパートで買ったちょっと珍し

い蜥蜴を飼っていた。日本の蜥蜴のようにぬめっとした肌ではなく、鎧のように固くごつごつした茶褐色

の皮膚で全身が覆われていて、その戦闘的な姿が格好良かったのである。餌は釣りに使うゴカイのような

生き物が小さなパックで販売されていたが、私は自分で捕獲した別の生き物を同時に与えていた。それは

何と“ゴキブリ”であった。初めに蜥蜴にゴキブリを与えたのは私の父であった。以後その光景を気に入

った私が引き続きゴキブリを与えることになった。今では無くなってしまったが、当時透明のプラスティ

ックで出来たゴキブリ捕獲器があった。餌におびき寄せられて、その容器に侵入すると出れなくなってし

まのである。“一方通行、出口無し”というキャッチフレーズであった。その捕獲器にゴキブリが掛かる

と、蜥蜴を飼っていた水槽の容器に投げ入れた。そこからがちょっとした見ものであった。ガラス容器の

中で蜥蜴とゴキブリの動きが一瞬止まるのである。獲物を襲う前の静かな緊張が漂う。そして次の瞬間に

蜥蜴は電光石火の速さで跳びかかり、哀れなゴキブリは夜のような黒々とした羽を広げながら、むしゃむ

しゃと食べられてゆくのである。今思い返すとグロテスク極まりないが、当時の私はその光景を見て楽し

んでいたのである。それである日の事である。私は自宅の近くで一匹のバッタをつかまえた。その時に何

気なく蜥蜴の餌にしてやろうと思いついた。たまたま近くにいた妹にそのことを話すと、妹は「可哀想や

からやめとき」と言った。私は、「かまへん」と無視してバッタを蜥蜴を飼育している水槽に入れた。い

つものように蜥蜴は一瞬の静止の後にバッタを噛みくわえて食べ始めた。私はバッタが食べられてゆく光

景を見て、ゴキブリでは感じなかったショックを受けた。何故かはわからないが弱肉強食の世界の不条理

を見たように思い、バッタを餌にしてしまった自分の行為に罪の意識を深く感じて心が痛んだのである。

ゴキブリの場合には強者の蜥蜴を格好よく思い、バッタだとナイーブな道徳感情が働くというのは単に正

直なのか、子供らしいだけなのか、感受性として分かりやすいのか分かりにくいのか今もってよくわから

ない。しかし当時の私はどこか天才だったのである。それで私はその話しを作文に書き前年に引き続いて

クラス代表として体育館で発表すると、割れんばかりの大歓声と笑いに包まれて、またしても圧倒的多数

で学年代表に選ばれたのであった。因みに中学3年生の夏休みは、高校受験やら何やらで私の心の余裕は

なくなっていて生活体験文は結局書かなかった。