龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 72


それで同窓会の話しに戻るが、ある女性が私に話しかけてきてくれた。私はその女性のことをまったく覚

えていなかった。それで正直に「申し訳ないけれど、私は覚えていないのです、ごめんなさい」と謝っ

た。するとその女性は「一度もクラスが一緒になったことはないのだから無理もないね。でも私はものす

ごく、あなたのことを覚えているの。なぜならあなたは私にとっての初恋の人だから。」と言った。世間

一般的には、同窓会ではありがちな退屈な話しである。しかし私には正直なところ天と地が引っくり返る

ほどの驚きであった。まさに驚天動地の告白である。中学時代に私に恋していた女性がいたとは考えられ

ないのである。そんなことはこれまでの人生でただの一度も想像だにしたことがなかった。男は顔ではな

いが、私は女性に初恋の相手として選ばれるような端正な顔立ちをしていない。どちらかと言えば不細工

である。小学校2年生になる私の息子はこの頃口が悪くなってきて私が何か注意すると、「何言うてんね

ん、不細工な顔してるくせに」と口答えする始末である。しかし、その女性は冗談を言っている訳ではな

かった。なぜなら中学時代の私のことを、本人である私以上に覚えていてくれていることが話しをしてい

てわかったからである。私は野球部に入っていた。と言っても中学2年生の途中で止めてしまったのだけ

れど。その女性は野球部の練習場所が見渡せるという理由だけでわざわざテニス部に入って、いつも私を

見ていたと言う。私が当時もっとも親しくしていた男友達の名前も覚えていた。週に1回ぐらいは私の家

を見に来ていたと言っていた。家の表札がどのようになっていたとか私が全然知らないことまで彼女は覚

えていた。私が中学2年生の時に書いた生活体験文の『とかげ』も覚えてくれていて、「“その日の晩御

飯に出たおかずのきゅうりがバッタに見えてたべられなかった”でしょう。」と最後の一節を暗誦した。

私は心底、驚いてしまった。確かに私はそのように書いたのである。普段、蜥蜴にゴキブリを食わせて喜

んでいた私はバッタが食べられる光景にショックを受けて、その日きゅうりがバッタに見えて食べられな

かったのである。当時いかにその文章が同級生たちに受けたからといっても30年前の話しである。クラ

ス代表と学年代表で2回皆の前で発表しただけで文集のような形で残っているわけではないのだ。私の手

元にさえ原稿はとうの昔に紛失してしまっている。“記憶”が全てであり、私のつたない表現は30年の

時を超えて彼女の心の中で鮮明に生きていた。私は魂の中心にあるしこりが慰撫され、解きほぐされてゆ

くかのような静かな感動を味わった。

正直に言えば40代も半ばになればどのような女性であれ容貌や色香は衰えてゆくものであるから、その

ようなロマンティックな告白は20年前にして欲しかったというのが本音であるが、もちろんそんな余計

なことは口にしなかった。それで私は、自分は決して女性にもてるようなタイプではなかったはずなのに

一体どこが良かったのかとくだらない質問をした。女性はどことなく雰囲気がよかったからだと答えた。

私はその“雰囲気”なるものがどういうものだったのかもっと詳しく聞いて当時の自分を知りたかったの

であるがそれ以上は聞けなかった。ただその女性は「他にもあなたのことが好きだった子がいたのよ」と

言って二人ほどの名前を挙げたが、それらの名前に関しても私はまったく記憶がなかった。思えば私には

元々冷淡なところがあったのかも知れない。

その女性の近況を聞いてまたまた仰天した。何とこれまでに4回も離婚していて今の相手とは5度目の結

婚だそうである。双方の連れ子たちと新しい家族として一緒に生活しているとのことだった。3度目か、

4度目の離婚の時には自分が慰謝料を支払ったと言っていた。聞いている内に私は脱力して座っている椅

子からずり落ちそうになった。私はたった1度の離婚が出来ずに、どこかの夜店で買われて来て一夏過ご

したかぶと虫のように日に日に弱っている。まあ私の場合相手が応じないからであるが。もちろん離婚と

結婚を繰り返すのが偉いというわけでもないだろうが、彼女の人生に対する貪欲さというかそのエネルギ

ーには降参してしまいそうな気分を感じた。そんなパワフルな女性に30年前の一時期とはいえ初恋の相

手に選ばれ思いを寄せられていたとは嬉しくもあり、また今日の我が身が不甲斐なく思えて居たたまれな

くもあった。しかし、げに女とは恐ろしい生きものである。

小学校から中学まで一緒だった、大手TV局の子会社に勤めている男は信じられないことに私が小学校2

年生の時に書いて校内放送で発表させられた作文を覚えてくれていた。その男に言われて初めて思い出し

た。そう、母の実家がある徳島に行くためにフェリー船に乗ったのである。そのことについての作文であ

った。私はその“フェリー”を変な発音で読んで教室で放送を聞いていたクラスメイトたちは爆笑に包ま

れたのだという。小学2年生といえば息子の年齢だ。当時の作文が誰かに覚えられているとは本当に信じ

られなくもあり、時空を超越したような感慨だった。その男が言うには私はめっちゃ作文が上手くて目立

っていたのだそうだ。私という人間がそのように見られていたとは今回、同窓会に参加して初めて知った

ことである。私は文章で誰かの記憶に深く残っている人間であった。私は生まれつきそういう人間だった

のかも知れない。

いくつになっても自分自身を深く知ることは困難な道であり、驚きの連続でもある。


それでその日の同窓会は当初ほんの少しだけ顔を出すつもりであったのが気分が少し高揚していたため

か、私が初恋の相手だったと告白してくれた女性も一緒に3次会にまで参加してカラオケで下手くそな歌

を熱唱してしまった。

何ていうかその日は本当に白犬のように幸福な一日であった。