生きること、書くこと 107
民主党代表選挙、出馬の岡田克也氏が出演していた昨日の報道ステーションを見て、少し考え込んでしま
った。
岡田氏は魑魅魍魎とした政治の世界にあって唯一、信頼できそうな人物であるように思える。一口にクリ
ーンなイメージと言っても単に汚職が無さそうだという消極的な意味合いではなく、理想が志として彼の
人格の中にきちんと生きているように私には感じられる。
とこらがテレビに映る岡田氏の姿は、正直に言ってあまりぱっとしない。真面目な所はよくわかるが、い
かにも頑固そうで取っ付き難さが前面に現れている。見た目で損をしているというか、大衆受けしないタ
イプというか、わかりやすくいうとタレント性がないのである。口下手そうであるし、話すタイミングも
悪いし、表情も暗い。止めを刺せば、野暮ったいのである。
そりゃあ鳩山由紀夫氏のほうがすらっとしていて、スマートで洗練されている。
しかし翻って考えてみるに、それでは政治家の資質とは一体なんだということになる。はたして政治家に
タレント性は必要なのであろうか。
絶対的に必要不可欠であるというような強固な意見や、無いよりは多少とも有る方が得だというように感
じ方の度合いに幅はあれども、ほとんどの人は政治家のタレント性を才能の一つであると考えているので
はないだろうか。
だが私にはそのようには思えないのである。小泉元首相にはタレント性があった。一口で大衆の心を掴む
こつを心得ていた。しかし中身がなかった。小泉元首相や竹中平蔵氏は、未だに未曾有の大不況や国民大
多数の困窮を究めた生活を、構造改革の成果が実現するための過渡期段階であると悪びれることなく言っ
てのけている。そのような神経が、タレント性の一側面なのである。政治家にタレント性が必要であると
考えるなら、タレントを政治家に促成的に作り上げるほうが手っ取り早いではないか。これも日本の政治
の一側面である。
我々国民全体が、日本の政治の質に責任を持たなければいけない時期を迎えているのではないだろうか。
世襲も、タレント議員も、宗教と政治の分離も全て同根の問題である。政治の質が、生活の質を決めるの
である。
わかるか、わからないか。
これからの日本の政治家は、何より人間性(中身)で選ばなければならない。
取り合えず私は、岡田克也氏のいかめしくも暗い表情と野暮ったさに期待したい。麻生さんの爽やかな笑
顔はもう見飽きたからだ。