龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 136


つい最近のことであるが、FM放送の音楽を聴きながら車を運転している時に、ふと突拍子もない考えが

頭に浮かんだ。人間、乗り物を操作しながら移動している状態では、静止している時には考えつかないよ

うなことを思い付くものなのだろうか。まあ、私だけなのかも知れないけれど。これから書く自説につい


て、おまえは46歳にもなって一体何をくだらないことを考えているんだと馬鹿にする人もいるであろ

う。

しかし“笑うなかれ”だ。全ての表現活動には、馬鹿らしさゆえの恥じらいが含まれているべきものなの

である。馬鹿になれない人間は、真面目にもなれないのだから。

さて私は、こういう事を考えた。1日は24時間である。当たり前のことだ。小学生でも知っている。そ

れではなぜ1日が24時間なのかと言えば、天体運動を基にして地球の自転周期を1日とし、その1日を

便宜的に24等分したものが1時間である。それではもし地球の自転スピードが変化して、1日がそれま

での24時間ではなくなった時に我々の生活や人生は、具体的にどのような影響を受けるであろうかとい

う命題である。

話しをわかりやすくするために、1日が36時間になったと仮定することにする。某大国による地下核実

験が原因で、あるいは巨大な隕石が衝突したことによって、地球の自転はブレーキがかかったようにゆっ

くりと回転するようになったのである。

先ずはっきりしていることは、それまでの時計が使い物にならなくなってしまうということである。36

時間製の時計を全世界的に作り直さなければならない。AM、PM各18時間の時計は、短針の1目盛り

がそれまでの30度から、20度に変わる。人々のライフスタイルも大きく変化するであろう。 1日が

36時間になれば腹が減るから、1日4食にしなければならないと考える人も多いであろうが、それは間

違っている。24時間できちんと3回、食べている人は実際には少ない。そういう私も朝は食べないので

1日2食であるから単純に平均すれば、12時間に1食ということになる。36時間の1日でしっかりと

3回食事を摂れば、1日分のエネルギーは十分に補えるしメタボ対策にもなるのではないか。という訳

で、1日36時間の地球は人間の健康に良いような気がする。

36時間の配分はどのようになるであろうか。睡眠時間は10時間必要であろう。大体、1日の30%で

ある。労働時間は16時間位、取れるであろう。国民が、1日16時間働けばGDPは間違いなく上昇す

るぞ。36時間/1日の地球では経済が今よりも活性化するはずである。では残りの10時間はどう過ご

すべきか。家族や恋人、友人たちと共に過ごすか、個人的な勉強や研究に費やせばよいのである。このよ

うに考えれば、36時間自転の地球は何とも素晴らしい変化を人間生活にもたらすとは言えないであろう

か。

しかし寿命が短くなるから結局のところ同じではないかと主張する人もいるであろうが果たしてそうであ

ろうか。1日が24時間から36時間になれば、単純に計算すれば75歳で死ぬ人は50歳で死ななけれ

ばならないことになる。しかし私はそうはならないと思う。人間の体内時計は、“時間”をカウントして

いるのではないと思う。先に説明した通り“1時間”とは便宜的に地球の1回転を24等分したり36等

分した人間の概念であって、生物の進化プログラムにおける時間軸とは連動していないように思える。で

は何に連動しているかと言えば、“日の出”と“日の入り”、つまり昼(明)と夜(暗)の繰り返し周期

ではないかと思うのである。つまり1日が24時間から36時間に間延びしたからと言って等比例的に寿

命は短くなることはなく、仮に短くなったとしても75歳寿命の人間は1割減の60代後半位まで生きる

のではないであろうか。人間の寿命は心拍や呼吸ではなく、植物のように明暗の回数で大雑把に条件付け

られているように思える。

よって時間がスロウに流れることは経済にも健康にも良いということになるのだ。もしかすれば、高度な

知性を備えた宇宙人は時間の長さをも人工的にコントロールする能力を持っているのではないか、いや、

きっとそうに違いないと私は確信したのであった。

しかし、そこで私ははたと気付いたことがあった。“男”はそれでよいのである。しかし“女”は困るの

ではないのか。女の肉体は、男にはよくわからないけれど生理やら妊娠で1日24時間の時間周期と深く

結びついているからである。動物行動学者、リチャード・ドーキンスの著書『利己的遺伝子』にもメスが

自らの遺伝子を後世に残すゲーム理論として、オスに対して時間を支配することの必要性が紹介されてい

た。私は、この理論があまりに明確で分かりやすいがゆえに大変、お気に入りなのである。オスは生涯に

無尽蔵に精子を作ることが出来るので、自らの遺伝子を生殖によってどんどん複製することは理論的には

可能なのであるが、メスはそれでは困るのである。メスの排卵回数は一生の内で数えられる程であり、そ

の限られた機会でより優秀なオスの精子と受精して出産しなければならない。しかし出産しても過酷な環

境下で子が生き延びることが出来なければメスは自らの遺伝子を残すことはできない。天敵や事故から我

が子の命を守るためには子育てにおけるオスの協力が必要なのである。よってオスの精子が無尽蔵なこと

の“浮気性”にメスが対抗するためには、“時間”を支配して、オスの1回の交尾における生命の投下コ

ストを引き上げる戦略を取らざるを得ないことになる。具体的にはメスがオスの求愛に対して簡単に応じ

ない行動原理となる。人間流に言えば徹底的に“焦らす”ことである。焦らされたオスは、目の前のメス

を獲得するために時間とエネルギーを注ぎ込み他のメスに目移りできなくさせられることになる。人間で

はわかりにくいかも知れないが昆虫のように数シーズンしか寿命のない生き物には決定的な要因となる。

結局のところ人間も流れている時間のスケールが昆虫とは異なるだけで原理的には同じなのであろう。メ

スにとって“時間”とは生涯における、生殖に結びついた重要な戦略資源なのである。人間の女性を、動

物や昆虫と同じ土俵で論じればお叱りを受けるであろうが、女がデートの待ち合わせ時間に遅れてきた

り、買い物で男を平気で待たせることはそれらの遺伝子レベルによる本能的な命令によるものだと思われ

る。それで女性が支配しようとする時間とは、太古以来の1日24時間の天体システムではないのだろう

か。何かが間違って1日が36時間になってしまうと、男は合理的に良かれと思うが、女は生理(肉体)

的に適応できなくなってしまう可能性が高いように思われる。

そういう風に考えてゆくと1日が36時間になればという発想そのものが非常に男性的な考えによるもの

だということになり、フェミニストからは忌み嫌われ、唾棄される思考ということになるのであろうか。

それとも男女の性差を認めないという観点からよく言ったとお褒めいただけるのであろうか。

フェミニストの考えることはよくわからないし、またわかりたくもない。

私は車を運転している僅か40分ほどの間に、このようなつまらないことを考えて一人で勝手に苦々しい

気分になっていたのであった。しかし男性的な考え方であるとしても、1日36時間の地球が男性に好ま

しいとばかりも言えない。なぜなら遅々として進まない永遠の壁のような時間を前にして、寂しさと絶望

のあまり自殺してしまう男が増えてしまような気もするからである。男は女よりも平時の漠とした寂しさ

に圧倒的に弱いからである。私もその内の一人であるとは絶対に認めたくはないけれど、男の生理感覚は

この青き地球の自転とは直接、連動していないから止むを得ないのかも知れない。