龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 137


本当は社会マナーとしては、このようなことに触れるべきではないのかも知れないけれど、日常生活のち

ょっとした場面で感ずる世の中のご婦人方(特に年配のお婆さん)への苦言をあえて呈したい。

たまにスーパーなどに買い物に行くと、レジで清算している女性が財布の中の小銭を掻き集めるのに手間

取っていることが多い。1円玉や5円玉を少しでも減らして財布をすっきりさせたい気持ちはわかる。5

秒くらいであれば仕方ない。しかし10秒を超えると列に並んで待っている方としては、いらいらしてく

る。酷いのになると20秒以上にわたって財布の小銭と格闘している女性がいる。

運悪くそういう女性がいる列に並んでしまうと、ほとほとうんざりさせられることになる。そのような光

景は大阪の特徴なのか、少なくないというよりほぼ常態的に見られる。しかし、“いらち”の大阪人とい

えども後ろからせかしたり、文句を言っている場面に出くわしたことはない。それは思うに、スーパーの

買い物客は女性が圧倒的に多いことが原因なのであろう。女性同士、同類意識があるから寛容になれるの

かも知れないが、男の感覚ではちょっと考えられないことである。おばさん又はお婆さんだから仕方ない

と思って我慢して待っているが、男が相手なら怒鳴りつけたくなる。

しかし男は年齢に関わらず、若かろうが年寄りであろうがそういうことはしないものである。私の場合は

自分の番が来る前に5円玉と1円玉を何枚か出しておいて金額が表示されれば、札と10円未満の端数を

さっと出すようにしている。10円玉や50円玉の数まで減らそうとは思わない。とにかく、男がレジ前

で財布の小銭を漁って後ろの客を待たせている場面は見たことがない。

私も含めて男は人を待たせるのが嫌いなのである。嫌いというよりは、男は早く次の人に回してあげなけ

ればならないという“義務感”に急き立てられるものだが、女はやっと自分の番が回ってきたのだからそ

こで自分なりの時間を費やす“権利”があると考えるようだ。本当にそういう風に考えているかどうかは

別だが、少なくともそのように見えるということである。

男と女では時間に対する感覚にかくも違いがあるものなのである。美しい肉体を有する若い女性が、男の

熱烈な求愛に対して曖昧なアルカイックスマイルで応え、待たせ続けることはどこか神々しいような威厳

も感じられるが、それもひと時のことである。年を取って性的な魅力がなくなってしまえば、レジ前で財

布の底の1円や5円を掻き集めながら後ろの客を平気で待たせるようになる。“女”というのも分かりや

すくも悲しい生態である。

一応念のために言っておくが、男であれ女であれお年寄りの動作が緩慢なのは止むを得ないことであっ

て、公共道徳的には辛抱強く待ってあげなければならない、という大前提の上での話しである。程度や許

容に対する社会的感覚や、待つことと待たされることの男女間の意識の違いについて述べているだけであ

る。こういう断りを入れなければ日本という国は極端に振れてしまいそうな恐ろしさがある。特に制度の

強制力というものは、人間の中庸を推し量るバランス感覚を破壊してしまうのである。