誰かが死んで、誰かが生きる。
悲しみと忘却は、うたかたの夢のよう。
私が死んだら
小さな子供たちの命を守る
地蔵仏になりたい。
街並みを見晴らす山道の小さな石仏に
私は宿る。
寒き日には
心優しき人が、真っ赤な手編み毛糸の
帽子と前掛けを付けてくれるであろう。
通りすがりの子供たちが
そっと私の顔をのぞき込み
柔らかな小さな手で撫で触るであろう。
その時に初めて
私の魂は孤独から解放され
本当の私自身に立ち戻るのかもしれない。
しかし私はまだ確かに生きている。
その日がくるまでは
震えながら
凍えながら
生きゆかん。
人とは肉に宿りし修羅なればこそ。