龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

腐った野菜

また、死んだ。
何がって、馬鹿親がパチンコに熱中している時に、車中に放置された子供の熱中症による死亡のことである。前(6月22日)にも述べたが、基本的にパチンコというギャンブルは脱法行為である。景品を経由して換金しても賭博であることに変わりない。日本では、雀荘で賭け麻雀をしても表ざたになれば法律違反で検挙される可能性があるのに、パチンコに関しては日本全国、至る所で公然と不法行為が黙認されている。その規模は不景気の影響で縮小傾向にあるとは言え、数十兆円に及ぶ。パチンコそのものが不法行為であり、その不法行為が行なわれている領地内の駐車場で、これまで何人もの子供が車中に放置されて死んでいるのだから、保護者の責任は当然であるが、パチンコ店そのものも社会的責任を問われなければならないことは、国民感情から見ても法的にも道義的にも揺るがざる道理ではないのか。大体がパチンコ屋は、駐車場の見回りすらしていないであろうから、管理責任がないとは言えないはずだ。
しかし、このようなケースで政治がパチンコ屋の管理責任を問うことになれば、パチンコという賭博行為の矛盾に行き当たることになり、それは国にとって極めて都合が悪い。よって、これまでさらっと看過され続けてきた。そして看過され続けてきたからこそ、このような車中に放置された子供の熱中症死という悲劇がなくならないのである。要するに国が賭博の不法行為を黙認することで、小さな子供の放置死を招いているのと同じである。
結局、あんたらが罪なき子供を殺しているんだよ。権力とは“連関の必然”に責任を取るべきではないのか。何で、それがわからないのか。その一方で権力の体面を取り繕うために、真面目に働いている人の駐車違反を遮二無二に取り締まったりする。
本当に、あんたらは腐っているな。腐った野菜は、腐った野菜に囲まれていると自分が腐っていることを自覚できないのである。だから未だ、腐っていない瑞々しい感性を保った国民は、我慢して腐った野菜など食べずに、これは“腐っている”と大きな声で宣言して捨て去ることが努めである。私は一人でも言い続けるぞ。あんたらは、腐っていると。そう言わなければ、私までが腐ってしまうからだ。そして本当は腐ったものに囲まれて、自らも同じように腐ってゆくことが人生の陶然たる最大の快楽であることを私は知っている。知ってはいるが、私はそのような腐臭を放つ快楽主義者たちに仲間入りする覚悟はまだ出来ていない。新鮮で瑞々しい野菜はいずれ腐ってゆくが、腐った野菜が新鮮さを取り戻すことは絶対有り得ないからだ。
これが現世の真理だ。瑞々しくあり続けるか、腐るか、人生は二つに一つだ。