龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 23


植草氏は株価暴落とその後の株価急反発はいずれかの時点から意図された可能性が高いという。しかし果

たして本当にそうであろうか。2003年4月28日に日経平均株価が7607円にまで暴落する過程で

小泉首相の経済政策が破綻していたことは植草氏の指摘通りだと思われる。しかし株価を操作しようとい

う意図があったのかということについては私は疑問を感じる。大企業の倒産を進める政策から、多額の公

的資金を注入して大銀行を救済する措置への転向は確かに株価の動向に与える影響力は極めて大きい。ま

た当初の政策破綻を「大胆な金融処理断行」に偽装しようとする計画もあったのかも知れない。しかしそ

れとインサイダー疑惑は別の問題である。経済政策破綻は単に小泉首相の見通しの悪さと根本的な能力の

低さの問題であって、要するに植草氏の糾弾は結果論に過ぎないのではないかというのが私の基本的な考

えだ。また植草氏は事件の背後にアメリカ政府やアメリカ金融資本の圧力や干渉を見ているようなのであ

るが、それもどうかという気はする。少なくとも小泉首相郵政民営化論は首相に就任してから出てきた

ものではなく持論として長年唱え続けられてきたものだ。小泉氏の首相就任までもが、アメリカが日本の

膨大な郵便貯金を収奪するために日本政府に要求した結果であるとはいくらなんでも言えないであろう。

小泉首相就任後の2年間で株価が暴落するなかで、アメリカ政府が見るに見かねて経済環境の改善を非公

式に要請するような状況はあったかも知れない。頑固者の小泉首相アメリカの要請には逆らえず、変節

せざるを得なかったのではないのか。その転換期において外面的にはインサイダーや株価操作が疑われる

ような事態が出来したのではないかとも思う。しかし政策破綻と大衆へのごまかしをインサイダーに結び

つけるのは少々強引過ぎるのではないかという気がする。政治銘柄については昔からよく噂されることで

あるが、植草氏が言うとおりに国会議員の多くが株の買い付けに狂奔していたのであればテレビで証券取

引等監視委員会が徹底調査すべきだと訴えたことはやはり地雷を踏みつけてしまったと言えるのではない

か。りそな銀行の処理については確かに闇が深いようにも思えるが、背後にアメリカ政府の誘導があった

と見るのはどうだろうか。何らかのサジェストはあったかも知れないが、サジェストと誘導あるいは干渉

は意味合いが異なる。私も日本とアメリカの関係性には安保を柱として問題が大きいと思うし、植草氏が

言うように隷属的だと言えるのかも知れない。しかし肝心な点はアメリカ政府は日本の主権を犯そうとま

では考えていないということだ。結局は日本の国内問題なのである。植草氏はどうも必要以上にアメリ

を敵視する傾向が強いように思われる。思想的なものなのだろうか。たとえば2001年9月11日の同

時多発テロに本気で疑惑を感じているようなのである。米国の軍事産業にとって戦争は不可欠だから9・

11同時多発テロアメリカの自作自演だと仄めかしている。それで2006年9月13日に植草氏がこ

の問題についてのウェブマガジン用原稿を送信した直後に痴漢事件に巻き込まれたのだという。結果、原

稿は掲載されなかったらしい。ここまでくると何とも言いようがない。また本書を読んで感じた植草氏の

意外な一面は血液型や占星学などのいわゆる占いに強い関心を持っていて30年間にもわたって学んでき

たということだ。多才であるというべきか一流の人間はちょっと違うなという気がする。しかし正直な感

想を言えば占いを馬鹿にするつもりは毛頭ないけれども、植草氏の感性のベースになっているそれら占い

や運命学のような非論理的な世界観の影響から陰謀説のような発想に囚われてしまうのではないかという

気がしないではない。頭が良すぎる人間が考えることはよくわからない。嫌味ではなくそう思う。どこと

なく不気味なものがあって、それが才能の正体なのではないかと思わせるものを植草氏は持っている。私

は植草氏ののぞき・痴漢事件が冤罪であるのかどうかについては実はそれほど関心があるわけではない。

私が書く目的は真実を追究することではなく、自らの“思考プロセス”を提示すること自体にある。たと

え拙くとも能力の限り全身全霊でその対象に向かい合い、考え、表現するのだ。それが“安易”かつ“効

率的”に一方向へ流れてゆく世の中に対する、警察や司法、大衆、メディア全てを敵にせんとする私なり

の挑戦状なのである。痴漢をテーマに社会秩序と公共道徳についても述べたかったのであるが長くなった

ので次回にする。


『100万回の命』

死んで、死んで、死んで、

生きる。

ほら、これが僕の命だ。

僕の言葉であり、魂だ。

よく、見てごらん

小さな小さな命と大きな大きな生命を。

僕の言葉には仏が宿る。

それは僕が仏を見ているから、仏に見られるのだ。

君は何を見、何に見られるのだ。

誰が踏みにじり、誰が行過ぎる。

死んで、死んで、死んで

100万回の死の後の

この、小さな命の輝きを。