龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

どじょうの決意

まだ発足したばかりなのでよく分からない部分はあるが、野田首相は会見記事内容を読む限りは人事の布陣と同様に政策においてもバランス感覚は持っているようである。首相官邸で記者会見している姿もTVでちらっとしか見ていないが、随分“まとも”に感じられる。恐らく、前(菅)が悪過ぎたということであろう。野田氏は恵まれている。目の錯覚原理で曲がったものが真っ直ぐに見えたり、小さなものが大きく見えるのと一緒で、前菅首相の後では立派に見えて仕方がない。しかし本当に菅氏はよく辞めてくれたものだ。一国民として心より感謝する。菅氏は在任中の悪政よりも最終的に本当に首相を辞めてくれたことにより肯定的に評価されるべき人物であり、その多大なる功績により彼こそ国民栄誉賞を授与されるべきであろう。
ところで今まで何となく思っていたことであるが、菅氏を見ているとイメージ的に元社民党辻元清美氏に重なって見えてくるのであった。男と女の違いはあれどあの二人はどことなく雰囲気がよく似ている。ああいうのをソウル・メイトというのであろうか。もしかすると前世では夫婦だったのかも知れない。
どちらも舌鋒鋭く政敵を攻撃することは得意なのだが、口先だけで言葉の中身が自己に対する責任として人格の陶冶と結びつく性質のもののようには到底、感じられないのだ。菅氏ではなく、もし辻元氏が何かの間違いで首相を努めるようなことがあれば、きっと同じような政治になっていたことであろうし、同じように国民から激しい批判の声が巻き起こっていたことであろう。政界の人間はこれからの日本のためにもよく肝に銘ずる必要がある。人格的に利他的ではなく、利己的な傾向の強い人間を首相の座につけてはならないのだ。間違いなく国全体が不幸になる。その点、野田氏はどうも人格的には菅氏よりも数段階上回っているように見受けられる。少なくとも菅首相をTV画面で見ていて感じられた無意識から湧き上がってくるかの不吉な不安感はない。しかし、お人柄の良さだけで現状の日本を立て直してゆくことは不可能であることも事実であろう。過去には“人柄の小渕”などと異名をとり、自ら照れることなくそう自称する首相も存在したが。これからはしばらくの間、“どじょう”の手腕とお人柄をとくと拝見させていただくことにしよう。
さて現在、政治が直面する重要事項について早速どじょうに注文させていただく。復興財源についてであるが、日本は米国債を71兆円保有しているとのことであるが、その一部を売却させてもらえるように日米首脳会談で交渉していただきたい。本来、日本の資産を売却するのにアメリカ政府の許可など不要なのは当然であるが、現実的にそうはいかないことも国民は理解している。もちろんアメリカ政府は却下するであろうし、激怒するかも知れないが、事は日本にとって国民の日々の生活と安全に関わる緊急事態である。野田氏自身が復興財源については、日本の資産売却を含めてあらゆる可能性を検討すると言及しているのだから米国債売却だけ避けて通るということは道理に合わない話しである。もちろん為替の安定の問題もあるから一挙に売却という訳にはいかないであろうが、当初5年間で19兆円必要であるならば、1年間で4兆円分ずつ売らせてもらえ。被災地が復興してからまた買い増してゆけばよいではないか。そもそも同盟国であるのに、そういう一番肝心なことが口にすら出来ないということがおかしいではないか。口にしたからと言って、即、暗殺されるわけでもないであろう。大体が本来財政の健全化はアメリカ政府こそが世界に率先して為さなければ、日本に要求する資格などないはずなのである。どじょうのように泥に塗れると言うのであれば、命がけで塗れていただきたい。そうでなければ単なる泥んこ遊びである。