龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 22


続いて2004年4月8日の手鏡のぞき事件についてである。2003年5月のりそな処理疑惑とその後

の植草氏糾弾との時系列的な関連性については、微妙であり何とも言えない。一部には、2004年4月

8日時点で近日中にりそなインサーダー疑惑についての植草氏の本が出版予定であったという情報もある

ようだが、本書にはそのようなことは書かれていない。当日、植草氏は横浜市長中田宏氏の後援会から依

頼されていた講演のために横浜駅シェラトンホテルに行っていた。4月8日は植草氏の子の誕生日でも

あった。講演会は12時35分に終了した。その後、植草氏は前日の夜、子の誕生日プレゼントに決めて

いた日本の歴史についての学習漫画シリーズ本、10冊程度を探すために横浜駅ビルの5階にある書店に

向かった。植草氏がエスカレーターに乗っているときに前方に二人の女子高生がいた。植草氏の主張で

は、4階で5階へ向かうエスカレーターに乗った時、変わった様子の3人組の男を発見した。植草氏が4

階に到着してUターンした直後、3人の男たちはワンフロア下のエスカレーターで同じようにUターンし

ていた。植草氏が男たちに気付いたのは様子が異様だったからだという。3人組の先頭の男はUターンす

る際に、真上に近い方向を見上げていた。その後ろを二人の男が同じ様子で続いた。この3人組の男は警

官であった。しかし植草氏が見た3人組のなかの一人である、リポビタンD「ファイト一発」のコマーシ

ャルの勝野洋に似ていたという男の存在について、警察、検察は裁判で最後まで認めなかった。警察、検

察の主張では神奈川県警、鉄道警察隊の志賀巡査部長と末永巡査2名ペアでの勤務ということであった。

確かに一般的には警察の巡回は二人が基本であり、三名というのは不自然である。よって警察側が勝野洋

似の第三の男の存在を隠蔽する必要性があるということは言えるが、植草氏がこの第三の架空の男をでっ

ち上げる必要性があったと見るかどうかが重要なポイントではある。その後、植草氏はその2名もしくは

3名の警官に追尾されることになる。その理由は「被疑者(植草氏)は同エスカレーターの6、7段前方

に乗っているミニスカートをはいた女子高校生を買い物客の後方から、左右に身体を振るようにして強い

目線を送っている様子であったことから、盗撮等の犯行に及ぶ可能性があると思料され、本職等は被疑者

の動向を注視した。」ということである。書店にも勝野洋似の男が植草氏を追って入ってきた。その後、

植草氏は14時22分に横浜駅から京浜東北線に乗り14時49分に品川駅に到着した。植草氏は横浜駅

でも勝野洋似の男を目撃し、本当にびっくりしたという。植草氏は警官に尾行されることは予期していな

かったであろうから、第三の警官がいたにせよ、いなかったにせよ尾行されているかのような事態に気付

けば驚くのは当然である。ところが植草氏が述べる勝野洋似の男を目撃したという状況の描写が、最初の

エスカレーター上においてはワンフロア下から異様な気配で真上を見上げており、二度目には5階の書店

に植草氏を追っていきなり入ってくる、そして最後に横浜駅横須賀線ホーム上で植草氏が使った階段よ

り戸塚よりの離れた場所から植草氏の方に向かって歩いてくる様子などすべて具体的で生々しく表現され

ており、私にはそれらの部分に限って言えばとても嘘をついているようには思えないのである。勝野洋

の男がいたことについては、この事件全体を俯瞰した印象で言えば捏造できる部分ではない。それで、こ

の部分は決定的に重要な意味をもつ。その後、植草氏は品川駅高輪口のエスカレータで追尾してきた警官

に捕まるのであるが、何者かに追跡されていることをわかっていたという植草氏の証言が真実であれば

(品川に向かう京浜東北線の中でも怪しげな男が植草氏をにらんで座っていたという)そのような状況で

のぞき行為などするわけがないからである。もし植草氏が嘘を言っていて警官に追跡されていることを気

付いていなかったのであれば、気付いていたという嘘に信憑性をもたせるために勝野洋似の第三の男をで

っち上げているということになる。しかし、本書を精読する限りそのような文脈で第三の男は語られてい

ない。またそこまでの計算があるようには思えない。植草氏の抗弁はより説得力のある具体的なことを

切々と訴えていて、勝野洋似の男については当時の純粋な驚きが述べられているに過ぎないものであり意

図的なあるいは誘導の匂いがない。より説得力のある具体的な抗弁とは、植草氏が捕まった品川駅高輪口

エスカレーターが上りと下りが隣り合わせに平行に設置され両者を仕切るものがない開放構造になって

いるということである。そのような丸見えの場所でのぞきをするわけがないという、きわめてもっともな

理屈である。もう一つは防犯カメラ映像についてである。品川駅のエスカレーターには防犯カメラが設置

されていた。植草氏は防犯カメラの映像を分析してもらえれば無実は絶対に証明されるはずだと考え、映

像の検証を4月11日から訴え続けた。ところが4月20日ころになって保存期間を超えているので記録

が残っていないと告げられた。事件日は4月8日である。植草氏は決定的証拠が警察によって隠滅された

と主張している。これも被疑者にとっては当然の憤慨であり、当局が防犯カメラに記録されていた無実の

証拠を知って隠滅したのであれば、それ自体が犯罪行為ではないのか。以下は私の推理である。私の勝手

な想像なので見当外れの一見解として読んでいただきたい。その方が私の気持ちは楽だからである。この

手鏡のぞき事件は冤罪の可能性が高い。はっきり言って国策逮捕だと思われる。植草氏は狙われていたの

であろう。本書でも述べられているように警察は4月8日当日の植草氏の予定を事前に知っていてシェラ

トンホテルを出たところから追跡していたと考えられる。横浜駅ビル内でたまたま不審者として発見し、

その後品川駅まで追尾するというのはあまりに不自然だ。但し、植草氏が追跡されていたのはこの日が初

めてではないと思う。これは私の“勘”である。当局はある時点から植草氏を社会的に排除する謀略を秘

密裡に企て、身辺調査をしていた。調査をすれば1998年事件のことは当然出てくる。痴漢やのぞき行

為などの迷惑防止条例で検挙することが可能だと判断し、電車内や駅構内、空港など公共の場所における

植草氏の行状を監視していた可能性が高いと思われる。現行犯で取り押さえるには、一定期間の尾行や監

視はどうしても必要である。植草氏は4月8日以前に尾行されていることについては気付いていなかっ

た。当局はかなりの慎重さで行動していたことが想像される。なぜなら計画そのものが見抜かれる恐れが

あるからである。しかし4月8日は違った。警察は、なんらかの理由でその日に植草氏を捕まえることを

はっきりと決めていた。いわゆるXデーだったのである。よって当然、追跡の仕方は雑で荒っぽいものに

なった。しかしその日に捕まえさえすれば、警察側にすれば万事OKだったのである。それで品川駅高輪

口のエスカレーター上が、その日植草氏を捕まえることの出来る最後のチャンスだと警官は瞬時に判断し

た。そのエスカレーターが開放構造になっていて下りの利用者から丸見えだとか、防犯カメラが設置され

ているというようなことを恐らく警官は考えている余裕はなかったのだと推測される。勝野洋似の第三の

男は公安か特殊任務の警官だったのではないか。残りの鉄道警察隊2名は植草氏を検挙するために単に同

行させられていたものであって、たくさんの人ごみの中から植草氏を識別し、捕まえるタイミングを指示

する役割は存在が隠蔽された第三の男が担っていたものだと思われる。何度も言うが、これは植草氏の著

作を精読して考え続けた私の勝手な推測に過ぎない。それでは植草氏はまったくの潔白なのかと言えば、

正直なところ私にはそうとも思えないのである。1998年事件における植草氏の弁明があやしいという

ことについては、前回書いた通りである。手鏡のぞき事件においても、捕まった直後に植草氏は「ポケッ

トの中のものを出せ」と命ぜられ植草氏が手鏡を出したあと、警察はすぐに「携帯電話を出せ」といっ

た。植草氏が携帯電話を手渡すと警察は勝手に操作し、植草氏がいうところの“紛らわしい画像”を見つ

け「この画像は何だ」と質問した。植草氏は「これは知り合いに撮らせてもらったもので違法なものは一

切ない」と答えた。紛らわしい画像とはどのような画像なのかわからないが、植草氏が実際に盗撮したも

のだという可能性はある。そもそもわざわざ知り合いに頼んでまで紛らわしい画像を撮影させてもらうの

に、携帯電話など使うであろうか。相手の女性に対して失礼ではないか。私にはそのような趣味はないが

もし仮にそうするなら一眼レフカメラで気合を入れて撮影し、大きく引き伸ばした上で立派な額縁に収め

て部屋に飾るであろう。警察は植草氏の携帯電話にそのような画像があることを知っていたようにも思え

る。警察はそれ以前の尾行調査で植草氏の盗撮・のぞき行為が疑われるような場面を目撃していたのかも

しれない。それで決定的な現行犯逮捕の瞬間を追い続ける内にXデーの4月8日を迎えたというのが、私

個人的には最もあり得るパターンだと思われる。だから要するに警察側の立場、論理で言えば冤罪だとも

冤罪でないとも言えないような微妙なグレーゾーンで勝負を賭けたのだと思われる。しかし我々市民の立

場で見れば、4月8日の事件は植草氏はおそらくその時点においてのぞき行為などしていないのであって

権力乱用の国策逮捕がなされたのだということができるのではないであろうか。それでは植草氏が国策逮

捕されるに至った政治的な背景についての私の見解も述べておきたい。